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1996 やらされの責任(株式会社藤大30年史)

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1996年 やらされの責任

 当時を振り返ると、ハルコは今でも「やらされ創業」という。自分から始めたわけでもないのに、次々と夫の仕事に巻き込まれていたからだ。

・当時の食卓は、作業台にテーブルクロスをかけただけ
・子どもを20時に寝かしつけると、そこから仕事が始まった
・寝るのは1時2時が当たり前、翌朝は子どもを保育園へ
・美容師の仕事より納期優先、予約は常連さん数人だけ

 子どもとの時間も美容の仕事も、「やりたかったこと」ほど犠牲になる日が続いていた。「休みの日は必ず工場に連れて行かれて、ダンボールや廃材を与えられて遊ばされてた」とは、ハルコの子どもから見た記憶である。

それなのに、それでもやめなかったのはなぜか?
きっかけは、夫の些細な一言だった。

「車、使いたかったのに、どこ行ってたんや?」
 集配から戻ってきた夕暮れ時、夫が何気なく放った一言が、ハルコの気持ちを噴火させた。

「もうええかげんにして!」

 言われたことだけを考えれば、たいしたことではない。夫にも悪気はなかっただろう。しかしハルコの心には、これまでの怒りやストレスが溜め込まれていた。それはまさに火山の「マグマ溜まり」のように、噴火寸前まできていたのだ。夫の些細な一言は、そこに亀裂を入れるには十分すぎた。

「あんたの忙しさをカバーして手伝ってんねん!」
「子どものことも美容師の仕事も犠牲にして!」
「知識も技術もない中でがんばってんのに!」
「客先さんの注文を聞いてるのも私やで!」
「借り入れの返済もしてかなあかんし!」

 長年溜め込んできたハルコの怒りが、すべて噴き出した。夫はまったく状況がつかめず、「そんなに気に触ることやったかな?」と思いながら、ハルコに圧倒されていた。しかしこの様子を見て、このままでは続かないことは理解できた。

「わかった。もうやめよう。すまんかったな」
 ハルコの怒りをすべて受け止めた後、夫は静かに言った。いつもならバタバタした中で済ませる夕食も、この日は静かだった。テーブルが作業台に早変わりする日々もようやく終わる。そう思ってハルコは眠りについた。

(でも、お世話になった人たちには迷惑かけるなあ)

……怒りを発散した後ほど、人は冷静になるものである。予想通り、ハルコはなかなか寝付けなかった。あの忙しい日々からようやく解放されるのに、いざ実現するとなると戸惑いが出てきた。

(お世話になってる人たちには申し訳ないなあ……)
(みんなのおかげで品質管理も評価されてるし……)
(仕事減らして、借入金の返済は大丈夫やろか……)
 自分が降りることで迷惑がかかる人たちを思うと、ハルコはどうしても決断できなかった。こうなってくると、今度は「自分」の方に意識が向くものだ。ハルコは布団の中でゴロゴロと寝返りをうちながら、今までの自分を振り返った。

(夫のせいにしてきたけど、結局引き受けたのは自分やんな)
(考えてみれば、まだ自分から働きかけることはしてないし)
(人のおかげ、夫のせい、って考えてるけど、「自分」は?)
 始まりこそ他者がきっかけだったかもしれないが、それに対して「選択」したのは自分である。それをすべて人のせいにして中途半端に終わらせてしまうのは、ハルコの信念に反していた。

(それに……)
 ハルコは思った。誰かのせいにするより、自分で背負う方が、人生の主導権は保てる。自分で責任を引き受ける方が、気持ちも行動も前向きになるはずだ。問題がないことを願うより、みんなで解決する方が、きっと楽しい。
 新たな考えが浮かんでくると、ハルコの心に希望が湧いてきた。まだ、「自分」からは何もしていない。

「ここまでやってきたんやし、もう自分でやってしまおう!」

 長い夜を越え、ハルコは決断した。夫のせいにしない。忙しさを言い訳にしない。全部守る。そう決めた瞬間、ハルコの体から疲れやストレスが消えた。

これが株式会社藤大の「始まりの物語」である。

↓つづく↓

(制作元:じゅくちょう)

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