まちのコミュニケーションジム①−3:自分で決意することから物語は始まる
◆ 相手を変えようとしないことがトレーニングの第一歩
あっという間の60分が過ぎた。
「木月さん、ここまでお話を伺いましたが、いかがでしたか?」
「ひとまず、じっくり聞いていただけて、すごくスッキリしました」
最初は曇っていた由成の顔も、すっかり晴れやかになっていた。
「それはよかったです。僕もようやく状況が飲み込めました」
正倫も同じくらいスッキリした気持ちになっていた。
由成の状況に合いそうな今後の見通しや対策も見えてきた。
「ありがとうございます。話してて、自分で気付くことも多かったです」
「木月さんは、勉強熱心ですね」
「でも、勉強するだけじゃダメだなと改めて思いました」
由成の反応の一つ一つが、正倫にも心地よく感じられた。
「そうなんですよ。実際に試してみないと意味ないですからね」
由成が我が身を振り返る少しの間、沈黙が流れた。
今までの経験を思い出しながら、今後にどうつないでいくか考えていた。
正倫は由成の考えがまとまるまでゆっくり待っていた。
「そういう知識の落とし込みって、どうすればいんですか?」
「試して、振り返って、少しずつ自分に合った形に『チューニング』していくことを、うちのジムではご提案しています」
正倫は商談に持っていく感じは出さず、由成の思考のペースに合わせた。
「……やっぱり、そういう時間や習慣って、大事ですよね」
由成も、あと一歩のところまで気持ちが固まってきていた。
大切なのはここからの共通理解だ。
正倫は今までの失敗を踏まえ、背中を押す前に注意を促した。
「ジムが力になれることは、データにもとづいて木月さんに合ったやり方を提案することです。ただ、それは木月さんが実際に試して初めて役に立つものです。学ぶことを目標にするのではなく、実際に行動に移すこと、知識を試すことを目標にされるのであれば、力にはなれると思います」
あえて声のトーンを落とし、厳しさを示すことで、由成の意欲を確認した。
由成もその意図をくみ取って、もう一度深く自分の心と相談した。
再び沈黙が訪れたが、そこに重さは感じられなかった。
「……わかりました。がんばって試してみますので、お願いします」
由成は決意を固め、正倫もそれを受け止めることにした。
こんな風に自分と向き合える人なら、きっと人とも向き合えるだろう。
正倫としても、思い描いていたトレーニングが実現できそうな予感がした。
◆ 自分だけでは、鍛えられないものがある
そのまま二人は契約の流れと今後のスケジュールを確認した。
正倫は由成のライフスタイルを把握しながら、無理なくトレーニングができるように提案をまとめていった。
「岩城さん、すごいですね。これなら自分のペースで挑戦できそうです」
知識中心ではない、自分中心のやり方が、由成には初めてで新鮮だった。
「知識は、日々の生活に落とし込んで初めて価値になりますからね。自分だけでは難しいところを、トレーナーに頼ってもらえたらと思います」
早速、初回レッスンが一週間後に決まった。
こうして今日の相談は終わり、二人は席を立ってあいさつを交わした。
「ありがとうございました。来週からお世話になります」
ギイッと扉を開けると、外から涼しい風が入り込んできた。
由成からはすっかり緊張感や重苦しさが消え、清々しさが漂っていた。
正倫も似たようなスッキリした気持ちで、姿が見えなくなるまで見送った。
コミュニケーションの本質を伝えることは難しい。
でも、そういう深いところと向き合う姿勢を持った人は、必ずいる。
たまにそんな人と出会えるからこそ、この仕事はやりがいがある。
いつものもどかしさを帳消しにできた心地で、岩城は扉を閉めた。
こうして新たなトレーニングが来週からスタートすることになった。
正倫はノートパソコンを立ち上げると、由成のためにできることを考えた。
(木月さんの現状に合った事例やデータは……)
始まりの楽しさが、やがてすぐにハプニングに塗り替えられていくことも知らずに、正倫と由成は満足げにその日を終えることになった。
(まちのコミュニケーションジム②へ続く)
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
思考と対話で発想を広げる
勉強を教えない塾 福幸塾
www.fukojuku.com
小説『思考と対話』
https://amzn.to/2PWzUPi
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆