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1997 組織化へのカウントダウン(株式会社藤大30年史)

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 現在の株式会社藤大に至るまでには、二段階のステップアップがあった。
 第一段階は、有限会社フジテックスとして組織化していった時期を指す。第二段階は、株式会社藤大として新たな挑戦に舵を切った時期を指す。ここでは第一段階の時期を紐解いていく。

 2003年に有限会社フジテックスとして法人化するまで、ハルコは個人事業主として仕事を請け負っていた。その頃のさまざまな挑戦や苦悩が、今の株式会社藤大にも活きている。そこから生まれた価値観や文化こそ、今後もずっと受け継いでいきたい根幹である。

 会社として新たに舵を切るまでの選択と挑戦を、いくつかのテーマに区切って物語を紡ぐ。それぞれのテーマに、大切にしたい想いの輪郭が示されている。

「母」
「働く姿勢」
「経営方針」
「共通認識」

◆ 母

 藤大の草創期を語る上で、まず欠かすことのできない人物がいる。1995年2月からハルコと共に働く山崎マリコだ。精神的にも労働的にも支えてもらった感謝を込めて、ハルコはマリコのことをいまだに「母」と呼ぶ。

 一緒に働くことになったきっかけは、お互いの夫が同じ部署で勤めていたことだった。
「うちの内職も、そろそろ社員さんが必要やねん」
「うちの母ちゃん、仕事やめてうちにいるよ」
 夫同士の職場での何気ない会話から、運命の歯車は噛み合い出した。

 当時の社名は、フジテックス。取りまとめのハルコ以外は、全員パートと内職の雇用関係だ。客先に一緒に出向いたりトラブルに対処したりできる、責任を負う社員はいなかった。きっかけを作った夫も、正式な立場は東洋電波の会社員だ。いつも一緒に働けるわけではなかった。

 そこでハルコと近い立場で働ける社員としてつながったのが、「母」となるマリコだった。
 ハルコから見て、マリコはポジティブでまじめ。人としての生き方や考え方が尊敬できた。ハルコが直感や情で行動するタイプなら、マリコは理論立てて考えるタイプ。お互い違う観点から議論できたことが、会社の発展につながったとハルコは感じている。

「なあ母、ちょっと聞いてくれる?」
「また客先でイエスマンなってたんやろ」

「この前、車ですれ違ったのに無視したやろ」
「車を運転する時は前見なあかんやん」

「はよ伝票つくって納品間に合わせな」
「私がやっとくから社長は支払い済ませてきて」

 マリコとの会話はテンポが早く、ジョークも議論も軽快だった。雑談も議論も、根底にあったは共通の想いがあった。

「会社を良くするためにどうしたらいい?」

 二人とも、半導体の組み立てや検査に関する知識や技術は持っていなかった。だから工場で一つ一つ教わりながら、検査員として働くことから始めた。作業を効率よく進めるための治工具の改良や、作業手順を効率化するためのアイデア出しなど、とにかく「現場」にこだわった。

 二人の夫をはじめ、力を貸してくれる人はたくさんいた。しかし時に、心ない言葉を浴びることもあった。時代背景を考えると、専門知識がないことだけが理由ではなかったかもしれない。

「ちゃんと仕事やってんのか!」
 ある時、半導体の資材の数量が合わず、マリコが取引先から怒鳴られたことがあった。自分たちの未熟さの問題と思って工程を見直し、対処に努めた。が、何度見直しても不備が見当たらない。どうやら先方の手違いの可能性が高かった。

「すみませんが、そちらの数量の確認間違いではないでしょうか」
つとめて謙虚に伝え、先方に資材の見直しを頼むと、確かにその通りだった。しかし、元請けと下請けの上下関係ゆえか、応対は冷ややかだった。

「うちはあんたとこと違って他にもたくさん取引先があるねん」
 これにはハルコが憤りを示した。
「うちの社員を怒鳴っといて、自分とこのミスを棚上げするのは、おかしいのちゃいますか!」
取引先の会社へ即座に出向き、堂々と意見した。先方の上司が話のわかる人で、謝罪を受けたことで決着はついた。そういう経験を重ねていくことで、ハルコは少しずつ責任者の自覚を身につけていった。

(自分とこの社員を守るのは、自分しかおらへんのやな)

 そんなハルコと共に現場で働き、議論や相談を重ね、隣にいたのがマリコだった。守るべき社員であると同時に、支えてくれるパートナーでもある。そんな意味合いも込めて、マリコは「母」だった。

 共に歩んだ年月を重ね、今となっては隠居したような立場になっているが、ハルコは今でも母への感謝を込めてこう言う。
「元気があればいつまででも、働く女性のお手本でいてね」

……まだ働かせる気か。

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(制作元:じゅくちょう)


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