2007 手探りの挑戦(株式会社藤大30年史)
加工グループが立ち上がってから、少しずつ社内が混乱してきた。
「この資材はどっちの?」
「伝達ミス増えてるよ」
「あの人どっちのグループやっけ」
二つのグループが同じ工場で仕事をすることになり、業務の住み分けが難しくなってきたのだ。
新たな挑戦を始めれば、当然新たな変化が生まれる。「時代の変化に適応する」というと響きは良いが、実際の現場はそう簡単じゃない。
(どうにか場所だけでも分けんと、仕事として立ち上がっていかへんなあ)
ハルコは物理的に二つのグループを分けようと考え、物件を探し始めた。すると、地元のつながりのある不動産から、好条件の提案があった。
「うちの土地が空いてるので、フジテックス仕様の工場を建てませんか?」
いずれ買い取るという条件でもよければ、建物や設備はかなり融通をきかせてくれるそうだ。新たな挑戦を考えているハルコたちからすれば、自由度の高い提案はありがたかった。
まず新しい工場を建て、今の業務を軌道に乗せ、進みながら新しいものを生み出していく。現場の従業員も新たな工場の必要性は感じていたため、話はスムーズだった。法人化して初めての借入をおこない、建設は早々にスタートした。3月に工場が完成すると、4月から早速稼働し始めた。新たな挑戦への気運も感じられ、当時の社員の二人からは桜の苗木のプレゼントがあった。
「藤田社長がお花の中で一番好きな桜です。この苗木と一緒に、工場も成長しますように」
希望に満ちた始まりには、早速最初の変化があった。初の男性従業員の採用だ。アルバイトとして数名、社員として一名がフジテックスに入社した。社員として採用した田村さんは、取引先の東洋電波のご縁だ。太田工場の稼働と田村さんの退職が重なっての採用で、工場長を任せることになった。
「大手さんやと、駒として働くことになる。うちは思ったことができるし、これから伸びる!」
なかば強引に言いくるめられて、アルバイトだった湯浅さんも社員になった。
当時の太田工場は、まだ二階の半分しか電気が通っていなかった。一階フロアは空いたままだった。これからここに何が詰まっていくのか……ハルコもまだアイデアやイメージはなかった。
それでも、場所さえあれば試せることが後から見つかってくる気がしていた。まだ何もないということは、これから何でもできるということだ。その日の仕事を終えると、ハルコはカチャリと鍵をかけて工場を後にした。
コツコツ響いた足音が消えると、ガランと空いた工場には静けさと薄暗さが広がっていた。
(制作元:じゅくちょう)