まちのコミュニケーションジム③−2「不満の裏側」
週明け最初の出勤日、由成はいつもより30分早く会社に着いた。正倫から言い渡された宿題について、じっくり考えた上で実践したかったからだ。
「次の一週間は、先ほどの質問リストをもとに、実際に上司と部下に聞いてみてください」
オフィスに入ると先にコーヒーを淹れた。スティックシュガーは1本がちょうどいい。いつものルーティーンで席に着くと、正倫から渡された質問リストを広げた。
□ 上司と部下はどんな表情でした? どんな気持ちが表れていました?
□ 上司の言葉が強くなったのはどんな時? イラッとしたのはどんな時?
□ 上司はどこに焦りや不安を感じてましたか?
□ 部下は何に怯えていましたか? 何に納得していない様子でしたか?
□ 部下はどこに自信がありそうでした? どこに自信がなさそうでした?
考えたこともなかった質問に、由成はちょっとワクワクしていた。本人に聞くとどんな答えが返ってくるのか、楽しみだった。ただ、普通に聞いても軽く流されるかもしれない。いいタイミングで自然に聞けるように、由成は質問を頭に叩き込んだ。
その日の夕方、早速最初のチャンスが訪れた。
「伊川、今日はちょっと落ち着きがなさそうだけど、大丈夫か?」
伊川が珍しく書類とにらめっこしていた。
「いえ……大丈夫です」
いつもなら定時に向かって締めくくりのパソコン業務に入っているはずの時間だった。普段は少し強めの語気も、今日はどこか弱々しい。
(集中できない時もあるけどもっとがんば……)
口に出しかけて由成は踏みとどまった。代わりに労いの言葉をかけてみた。
「頭を使う仕事って、この時間が一番疲れるよな。新規プロジェクトの方は慣れてきた?」
「……それがまだ」
その時初めて、伊川が不安を感じているように見えた。
「決められた仕事は得意なんですが、新しいことを考えるのがちょっと」
「……今日は早めに切り上げて、ゆっくり話聞こうか」
その日、由成は初めて二人で伊川と飲みに行った。
三日後、今度は上司と話すチャンスが訪れた。
「それは今やらなきゃいけないことなのか? もう少し考えろよ!」
上司のデスクで、部下が叱られているのが聞こえた。
「期限に間に合うのは大事だけど、もう少しまとめてからにしてくれよ」
「……すみません」
気まずい空気が流れていたことを誰もが感じ取っていた。
いつもなら疑問を感じながらも様子を見ているだけだったが、この日の由成は違った。
「課長、何か手伝えることはありますか? 仕事の手が空いたので」
課長のデスクを見ると、ふせんが大量に貼られていた。
「クレームtel」 F社:商品不具合、K社:開発遅れ、J社:ヒアリング
「会議」 18時・売上、10日10時・新規P、11日15時・部門間
「社長案件」「売上確認前期分」「部長会食」「メール確認」……
課長の表情をよく見ると、八つ当たりとは対称的に疲れの色が見えた。
「……課長、休めてないですよね」
「そうだな。ちょっと今は余裕がないな」
「クレーム処理の準備だけでも手伝いましょうか?」
「状況の整理と、対策のアイデアを頼めるか?」
「やってみます」
「来週までに対処できるといいんだが……」
そこにはさっきまでの強気な表情はなく、課長にも何か焦りが感じられた。
確かに、相手の状況をよく見るだけで、先週までと印象が違う。今週はたまたまそういうタイミングだっただけかもしれない。でも、今までと違う表情が見えたことが、由成にとって大きな衝撃だった。
(……もしかしたら、まだ見えてない視点があるのかも)
パッと視界が開けた感じがして、由成の頭にいろんな可能性が浮かんだ。思考が追いつかず、もう少し冷静に状況を整理したくなって、この日は定時で退勤した。長く伸びる影を追うように、由成はいそいそと家路を急いだ。
(つづく)
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