南九州市川辺の日清日露戦争記念碑 2
清水
清水は川辺町の北部に位置する。
清水区の産土神・水元神社に記念碑がある。元々は社殿の左手にあったが、2011年1月の大雪で背後の崖に生えていた木々が倒れる等の被害があったため、治山工事が入り、現在は鳥居の右手に移設された。
写真右手の石碑(銘碑)の正面には、両戦役の概要、側面と背面の従軍者の氏名が刻まれている。
明治42年10月建立、「弧松 佐藤益太郎 撰」、「肥後啓介 書」。『川辺町郷土史』によると、佐藤は旧制川辺中学校(現在の鹿児島県立川辺高等学校)の漢文教師で陸軍中央幼年学校の教官を務めたとある。なお、今後紹介する多くの記念碑の文章はこの佐藤による。
自然石(溶結凝灰岩)には「日清日露戦役記念」と刻まれている。背面等に年号はないが、その他の記念碑と同時に建立されたと考えられる。
左手の石碑には、「寄附人名」とあり建立にあたって寄附者の氏名と寄付額が刻まれている。
清水からの日清戦争の従軍者は5名で戦死・戦病死者はなし、日露戦争の従軍者は23名で戦病死者1名であった。
【余談】
これらの戦役記念碑と並んで、「水元神社の薩摩塔」という石塔がある。昭和33年、齋藤彦松氏によって紹介された特殊な石塔とされ、川辺町に3基、坊津町(現在は南さつま市)に1基、隼人町(現在は霧島市)に1基確認されたため「薩摩塔」と名付けられた。
以前は室町時代に琉球(現在の沖縄県)からもたらされたとされていた。
しかし、近年、太宰府や平戸等の中世の中国人居留地跡等で多数確認され研究がすすんだ事により、石材は中国寧波で産出する梅園石であり、鎌倉時代に作製もしくは持ち込まれたと考えられるようになった。
社殿の右手に名水百選に選定されている「清水の湧水」がある。この水は川辺の水道水や農業用水として利用されている。水温は年間をとおして13〜15℃。ゴールデンウィーク明けから6月上旬にはゲンジボタルの乱舞が観られる。また絶滅危惧Ⅰ類の淡水紅藻類「オキチモズク」が鹿児島県内で最初に見つかった場所で、当時より株数は減ったものの、冬から春先にかけて観察できる。
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