南九州市川辺の日清日露戦争記念碑 1
はじめに
鹿児島県南九州市川辺町は、江戸時代の薩摩藩の川辺郷と山田郷(勝目郷)に相当する地域である。昭和の大合併により川辺町となり、2016年に揖宿郡頴娃町・川辺郡知覧町と合併し南九州市となった。南九州市川辺町には、近世の自然村に由来する17の大字がある。
このうち、旧勝目村地域の下山田・中山田・上山田を除いた旧川辺町地域の14の大字に残る日清戦争と日露戦争の従軍記念碑を把握し、分析する事により建設に至った経緯や目的を明らかにしたい。
令和5年12月18日現在、存在を把握しているのは14の大字のうち11、現地確認をしたのは9である。
把握しているものの特徴として、
①多くが区の産土神(旧村社)の境内にある。
②建立は明治40年〜43年にかけてに集中している。
③石碑の文章(撰)は佐藤益太郎によるものが多いが、文章は石碑ごとに異なるがある。
今後、各区の記念碑の詳細について掲載する予定である。