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石ころ

石ころが海の底へと落ちてゆくさまを思うよ今日のおわりに

工藤吉生

飽きることなく「海のうた」の詩集を眺めています。収録されている短歌たちは、どれも隙なく美しく悲しく寂しく、それでも明るく、海そのものを眺めている気持ちになります。

石ころたち。


それは選出された、現代を生きる素晴らしい歌人たちの力がほとんどだと思いますが、この後に刊行された「月のうた」と言う本を読むと、やはり「海」と言うテーマには何か人を誘うものがあるのではないかと思うようになりました。(月のテーマは人をやや感傷的にさせすぎます)


この本偶然にも図書館で見つけ、手に取ることができて、結局自分でも購入し、手元に置くことができて、本当に良かったと思っています。

短歌と言うものは、私のように毎日長々と文章を書き連ねていくような人間には全くもって作り方が理解できません。そぎ落としそぎ落としそぎ落とし、何の無駄のない全てが輝くようなその中でもグラデーションを持つ美しい鉱石のようなそういうものが短歌なのだと思います。
私はときにそれに嫉妬します。

✴︎✴︎

読むものとして、これほどまでに味わい深く、口に含めば、いろいろな味がして見た目にも色とりどりのドロップスのようなこの短歌集を手放す事はないと思います。むしろ人にこの本を読んでもらいたいような気もします。そういう心の奥深くにいてくれる本なのだと思うのです。

海に行って、石ころを拾うのが好きです。波に連れてこられたやや丸くなった小さな石ころ。波に濡れ色は濃く尖ったところもない、そんな石ころたちを見かけるとついつい手にとって眺めます。それは開いたページにある歌をつい読んでしまうことと似ています。

この前行った海で軽石を拾いました。それだけでなく、煉瓦が波に洗われて丸くなったものや、ポコポコと穴が開き、その中にさらに小さな石が詰まっているものなど、その多様さにも驚きました。

家にいくつか連れ帰ったものがあります。お水に浸して塩抜きをしていた次の日の朝のことです。娘が日の光にあたるようにと、その石を並べていて、その石の行列の光に沿ったカーブがあまりに美しく、少し神秘的な気配さえして、私は写真に収めました。何の価値もない石ころたちの、この神秘、そういうもの私を愛しているのです。


光に並ぶ。

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