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千年の都 明恵上人 京都栂尾山高山寺石水院の新緑と紅葉
石水院の建物が国宝で明恵上人が後鳥羽上皇より学問所として賜った鎌倉時代の明恵上人時代の唯一の遺構である
金堂の東の位置にあったが明治22年現在地に移転している
建物は、簡素ではあるが優雅で機能的な構造であり生活の知恵の結晶である住宅建築である
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石水院から清滝川 周山街道をへだて深瀬の山々の檜 杉 楓の樹林が目の前に迫ってくる
濡れ縁に板間に座り額縁のような景色を眺めるために紅葉の頃車でそしてバスでとよく訪れた とても心も和らぐ日本の伝統である贅沢なひとときである
はじめて訪れたのは京北町を訪れ帰途あまりにも周山街道の新緑が鮮やかであり この機会に高山寺に参詣したくなり予定を変えて車を降りて新緑の石水院風景もしっとりした日本の原風景が思い浮かべつつ抹茶を頂いた
国宝の鳥獣人物戯画(複製) 明恵上人樹上座禅像をしっかり鑑賞して 茶の発祥地でもありいつも抹茶を頂いている
だが 明恵上人樹上座禅像の賛は楞伽山中 縄床樹定心石 擬凡僧坐禅之影 写愚形安禅堂壁 禅念沙門高辨 が判読できないため理解できなかったが長く調査しその後ようやく判明した
明恵上人の肖像画の賛の意味は
高山寺の上の山釈迦の遺跡になぞらえて楞伽山(りようせん)と名付け常にそこの木や石に座って座禅を行っていた その姿を禅室院の壁に写したと解説されいていることを教えられ 明恵上人樹上座禅像を鑑賞する楽しみが増えた
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さらには紅葉の時期には明恵上人の和歌
あかあかやあかあかあかやあかあかや
あかあかあかやあかあかや月
をいつも思い出している
この記事を書きつつ長いこと参詣していない 下鴨に住んでいる友人から聞いた京都の観光公害におそれをなして残念ながら足が遠のいている
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お茶の歴史に興味があり 高山寺をよく訪れたのは明恵上人は茶祖と語られていることを知らされたからでもある
栂尾山はこのように茶の発祥地で鎌倉初期、師栄西禅師が宋に渡り養生の仙薬、延命の妙術としてこれを広めよえうと茶種持って帰国してこれを明恵上人に贈呈された上人は栂尾の深瀬にこれを植えその他の土地に広く移し植えられた歴史がある。はじめて茶の歴史の長年の疑問が解けたからでもある
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神護寺に所蔵されている「高山寺絵図」には、1230年(寛喜元年)の高山寺は、大門、金堂、三重塔、阿弥陀堂、羅漢堂、鐘楼、経蔵、鎮守社などが建ち並んでいた様子が描かれている。
明恵上人の石水院もこの地に立てられていた が室町時代の戦乱で消失して江戸時代に再建されている
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