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こう生まれた #SHE_S推し

『fromこう になるまでの話しとか』

 4人きょうだい。1番はじめに生まれた私。高校生のときには、ソフトボール部。朝練がはじまり、高校に近いから、ということで祖母の家に引越す。バイトで稼いで、携帯代、交通費、間食費も自分でつくりだした。
 生きていくために、学費の抑えられる大学かつ、資格が取れ働ける学部に。小遣い・塾もなかった。自分で生きて行くため、看護学専攻を目指した。

 毎日の宿題や、テスト勉強、受験勉強のためにずっーとラジオor音楽をきいていた。2012年、SHE'Sと出会った。
 同じ、大阪のひとたち、10代限定のフェスティバルの、最終選考まで残っていた。彼らの曲に、心が揺さぶられた。響いた。

 SHE'Sのおかげで、諦めず勉強を続け、大学に合格。驚いた。
 大学生活も部活や実習、授業、論文、卒論の発表など、大変ではあった。新卒で訪問看護をしたくなって、ありがたい事に先輩をいらっしゃるところに採用していただいた。
 あと、3日。看護師4年目をむかえるまで、あと3日のところで怪我を、したらしい。

 学生の頃のように、ベッドから、ストレッチャーに乗り換えを補助してもらい、そのまま機械浴。着替えや清拭は学生に経験したから、ぼーっとその一連かなぁ、と思っていた。
 はっきり、意識を戻した後、話せなかった。気管切開されていた。栄養も注入。鼻から胃にチューブが入っていて、医療従事者のスタッフさんが注入してくれていた。

 リハビリ病院に長いこと入院させていただいたため、気管切開のカニューレは外し、手すりと見守りのもと少し歩けるようになった。
 年末があり、テレビをつけてもらうとアニメ メジャー2ndの、エンディング曲にSHE'Sが流れた!泣いてしまった。

 あれから、いろいろあったが、まだ怪我してから4年ちょっと。20代後半全部をそれとともに生きている。もうすぐ誕生日、30歳。

 去年9月くらいに、就労支援在宅ワークとして、私の経歴等を文章化していた。それを、スタッフさんに、Twitterで投稿してはどうか?と。高校生ごろ?から、近い友だちと行っていたので、身体障がいのせいで、パソコン作業は大変だ。それよりも、スマホのほうが使いがいがあるため、投稿するようになった。

 SNSも(LINE以外)久しぶりだし、TwitterからXへの変化?もあり、しきたり?もわからなくて、難しいが、怪我してじっとひとりで、言われた作業をしていたら、出会えなかったひとたちと出会えた。詩も出会えたひとつ。音楽系もそうだ。

 怪我して就労支援はじめたからこそ、知らなかった、(いまは)インディーズのバンドや、考え方、他の仕事や体験を知ることができ、毎日楽しい。

 それを、自分の気持ちに囚われて、私のおもいを全く考えもしない人間に行動を制限されている。
 今年3月に初めてライブに行って、歌詞・曲・方向性が推しでしかたないバンドの、サイン会に行く予定だった。もう、考えたくも無い。
 怪我が無ければ、SHE'SのHappy Endingに向かって、生きていたはずだった。

 25歳で過去の私は居なくなった。いま、生きているのは、こう。4年前、3月29日に生まれた。まだ、身体能力も改善しきっておらず、右耳は失聴。頭蓋骨一部無くなっている。時は流れていく。いまも。

 25年生きていた自分とはお別れ。こうとして、これからは生きていく。学んだことや経験したことは大切に使用していく。
 まだ、年齢が足りないのか執着?非難?制限している人間に、こころから感謝を言えない。薄っぺらい、嘘の感謝の言葉とか、ことばに失礼過ぎる、と思う。

 自分は、違う人物として生きていくつもりだ。そこには、ことばと音楽は付きもの。大切にしていきたい。

#fromこう


#創作大賞2024

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