『自分に背いてつらいより、自分に正直でつらい方が、はるかにいい』
自分のやりたいことができて、活き活きと働くことができている人は、とても幸せな人なんだと思います。
そんな人にとっては、きっと世の中で騒がれている「働き方改革」なんてどこ吹く風なのでしょう。
しかしながら、組織の進む方向性と、自分のそれとが合致している人は、なかなか少ないのではないでしょうか。
特にいわゆる旧態依然とした大企業では、「個」よりも「調和」が重んじられ、周りと違う動きを取ると、その中身を吟味することなく異分子扱いされてしまうことが少なくないのではと思います。
しかもそれは、強く意識をしてそう仕向けられてしまうわけではなく、長い年月をかけて作り上げられた目に見えない組織の「価値観」とか「風土」といったものが、自然と異分子排除の方向へ社員の気持ちを向かわせるのです。
このような世界の中で、軋轢や矛盾に苦しんだり息苦しさを感じている人がきっとたくさんいるものと思いますが、一方で、うまく生きながらえている人もたくさんいます。
その違いは何でしょうか。
私は、「個」を押し殺し組織の「調和」に自分を合わせられる人とそうでない人の違いなのだろうと思っています。つまりは自分に嘘がつける人と、つけない人の違いです。
先日参加した最高の居場所のライブ、「大手電機メーカー・ゼロから立ち上げた組織開発
〜人と組織のポテンシャルを引き出すコツとは?〜」には50名近くの人が集まりました。この場に参加した人たちの多くは、自分に嘘をつけないが為に息苦しい日々を送っており、その解決の糸口を見つけたいと願ってやまない人たちなのでは無いかと感じました。
上記ライブののち、参加者のひとりの方と対話を続ける中で、私は自分に嘘がつけないタイプの人間だと吐露したところ、以下のメッセージをいただきました。
「自分に背いてつらいより、自分に正直でつらい方が、はるかにいいですね。」
こんな発想は今までありませんでした。
そして大いに励まされました。
自分は自分に正直のままで良いのだと。
「仕事だから仕方ない」と目の前の軋轢や葛藤から目を背け逃げてしまうのは簡単です。だだし、その場の苦しみから一瞬は解放されるかもしれませんが、後になってきっと後悔の念が押し寄せて来るのです。そして一度でも自分に嘘をついてしまうと、その後もずーっと嘘をつき続けなければならなくなります。
これが、「自分に背いてつらい」状態ですね。
以前、営業をしている中でこんな出来事がありました。
あるお客様に見積を提示したところ、見積の内容が気に入らないと叱責されました。出した見積はいたって一般的な内容でしたが、値引きの幅が甘く気に入らないと。
そして自社の都合をこちらに押し付ける極めて一方的な主張を、かなり強気な口調でまくしたてられました。その内容は全く論理的なものではありません。
さすがに私もむっとしましたが、一方で悲しさや侘しさも覚えました。
この企業は一部上場の有名企業です。上記を伝えてきた方はその企業の課長クラスの方。世の中的には立派なステータスを手に入れた方です。
きっとその方はその方なりに、会社の役割を必死に果たそうとされている結果の行動だったのだは思います。そしてそうすることで出世のチャンスを手に入れることができるかもしれません。
しかし果たしてそれは本当にその人にとって納得のいく人生なのでしょうか。その人にも家族はいるはずです。自分の仕事ぶりを自分の家族に胸を張ってありのままに伝えることができるのでしょうか。
私には、正にこれが自分に嘘ををつき続ける人生なのではないかと思うのです。
今は良いかも知れません。ひょっとしたら出世もできるかもしれません。しかし、いずれ必ず訪れる会社生活の終焉(退職)のとき、会社という枠組みの外に出たとき、大いなる後悔の念に苛まれるのではと思うのです。(或いは一生自分に嘘をつき続けるか…)
自分に正直に生きることはとても難しい事です。特に古くて大きな企業に勤めていると、その難しさを実感する毎日です。
自分に正直に生きていこうとすると、様々な試練や苦労がこの先待ち受けているものと思います。しかし今のところは、それを覚悟の上でこの道を進んでいくしか選択肢がありません。
新たな試練が現れたとき、どんなに不器用だと言われようとも、この言葉を思い出し、なんとか耐えていくことしか今の私にはできません。
「自分に背いてつらいより、自分に正直でつらい方が、はるかにいい。」
これが今の私の生き方なのだと、挫けそうな自分に言い聞かせています。