最後は、「自分がどうありたいか」が拠り所となる。(ハラスメントと闘う日々⑤)
45歳の1年間
一年前の今頃、職場に行かないと言う選択をし、2週間の休暇を貰っていた。
noteに出会ったのもちょうどその頃。
当時の気持ちは以下のエントリーに記した。
45歳の1年間は、いつか人生を振り返る時に、やはり転換期だったなと思えるんだろう。
この一年で経験した出来事が、間違いなく今の自分の価値観に影響を及ぼしているし、この先の行動も今までとは違う行動を起こすだろうと思う。
ただ、今のこの瞬間だけを切り取ると、気持ちが迷走し、苦しい毎日だ。
人事からの連絡はまだない
今週も、人事からの連絡が無いまま、終わろうとしている。
いくらなんでも待たせ過ぎではないか。
関係者に事前に根回しされてんじゃないかとか、あれこれ余計な事を考えてしまう。
この反応の悪さも含めて、いまの組織の文化・価値観なんだろうと、諦めにも似た気持ちが湧いてくる。
どうしても、目の前の苦しさから解放されたい思いが先走るが、そうではなく、中長期的な目線で、自分はどうありたいのかを考えるべきなのではと思い直す必要がありそうだ。
それを思わせてくれたのは、先週、転職エージェントと会ったおかげだ。
転職エージェント
いや、何かいいアドバイスを貰った訳ではない。
転職エージェントに会ったのは初めての事だったが、ああこの程度なのかと思い知らされた。
こちらの事情や思いなどこれっぽっちも聞きやしない。一方的に求人情報の説明がつづく。全く機械的な対応だった。
恐らく、応募者のノルマがあるのだろう。とにかく募集要綱にマッチしてるかどうか、そしてエントリーの意思があるかを確認したがっていた。
このノリで転職活動を続けていったら、沢山の求人情報を提示され、ひたすら条件に合う合わないのマッチング活動だけが繰り返されるだけだなと感じた。
自分の中で軸がないと、明確に求めるものが無いと、振り回されるだけだなと思う。
それが分かっただけでも良しとしよう。
中には親身に相談に乗ってくれるエージェントもいるのだろうが、そんな人に会える確率は低そうだ。
自分はどうありたいか
で、自分は何を求めるのだろうか。
真っ先に浮かんだのは、経営者のビジョンに共感出来ること、この人について行きたいと思わせてくれる経営者の元で働きたい、ということ。
じゃあどんなビジョンに共感出来るのだろうと考えると、やはりそこがぼやっとしている。
ただ少なくとも、数字だけを無意味に追わせる上司の元で働くのはもうごめんだ。部下を動かすのに圧力をかける事しか出来ない上司の元で働くのはもうごめんだ。
意味のあることに、この命を使いたい。
人の助けになったり、世の中を良くすることに、この命を使いたい。
そして、コノママカイシャニウモレルノハイヤダ。
自信と尊厳を取り戻す為の闘いはつづくーー。
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