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目的を見失わない。(ハラスメントと闘う日々⑥)
私の仕事に対する感覚や価値観は、いまの職場の中では異質なんだろうなと感じる。
組織の価値観
昔からそうだった。その頃は気がついて無かったが、今から思えば、ほとんどの上司と噛み合わなかったのはそのせいだ。
管理職になって、会社でのマネジメント教育がほとんどなかったため(信じられないことだが)、自分なりのマネジメントスタイルを追い求め、自分なりに学び、そして確立していった。結果、その方向は周りのそれとは大きく異なる方向へと向かっていった。
私が課題だと感じる事は、多くのひとにはそう感じないようだ。中には、感じていても見て見ぬふりをする人もいる。保身のために。(これが正に「適応課題」ってやつだ)
前にも「問題提起と言い訳は紙一重 (なぜ現場の声は上層部に届かないのか。)」という記事を書いたが、私が課題だと訴えると言い訳だと返される。
そう言えば、以前、ネスレ社長である高岡さんの講演で、所謂エリート社員は課題解決能力には長けているが課題発見能力が欠けている、だからイノベーションを起こせない、という話があった。なるほどうなずける。
組織と自分の価値観のGAPの存在はとても大きい。
ドラッカーも「明日を支配するもの」でこう言っていた。
“組織には価値観がある。そこに働く者にも価値観がある。組織において成果を上げるためには、働く者の価値観が組織の価値観になじむものでなければならない。同じである必要は無い。だが、共存しえなければならない。さもなければ心楽しまず、成果も上がらない。”
朋友との会話
昨年私がいた部署で、今でも攻撃者に耐え、そして闘い続けている方と話をした。昨年、私がダウンしてしまった時、毎日のように電話をかけてきてくれた優しい方だ。そして何よりも心が強い。
しかし強い心を持っているからこそ長い期間闘えてしまう。そのかかっているストレスは半端ない。話を聞くと私なんかよりも余程重症だ。それでも毎日会社に向かい続けている。
唯一いまの職場で心から信頼ができる仲間だ。直近の状況を共有しあった。
今の会社の実態から考えると、もはやハラスメントと認められる可能性は低いと受け止めざるを得ないと感じた。
人は、肩書きや立場を持ってしまった弱き人は、そうそう簡単には自らの過ちを認めはしないだろう。
いっときは世界にも名を轟かせていた頃のその面影は今や見る影もなく、業績は下がり続け、廃れゆく内向きな会社の悲しい顛末だ。
もう手の施しようの無いくらいまでの状況に差し掛かっているのではと思い始めた。表向きは綺麗なメッセージが飛び交うが、実態は足の引っ張り合い、そして保身。
人事に上申するストーリーを変えよう。そう思った。
ハラスメントだったか否かなんてどうでも良くなってきた
もはやハラスメントか否かと言う議論はどうでもいい。実態はどうやっても伝わらないだろう。昨年と同様に、問題がすり替えられる可能性が高いと感じる。
まずは、今の職場から如何に抜け出すか。
相手は人事だ。異動させる必要があると思わせられるかどうか。
そして、次には今も苦しめられている人達がいるという事実。人事の立場として、放っておけないと思わせる事ができるかどうか。
何か、動かざるを得ないと思わせる謳い文句あるといい。
相手のナラティヴを考えれば、その答えが見つかるはず。
これまで、独自に学んできた組織論やマネジメント論を総動員しよう。
そして一旦は自分のナラティヴを傍に置く。つまりは攻撃者への感情や、自分の辛い思いは、堪えていったんは忘れる。
最終的に、果たしたい目的は何か、それだけを考えて、作戦を練り直す。
目的を、履き違えてはいけない。
自信と尊厳を取り戻す為の闘いはつづくーー。