誰かに嫌われないけど誰にも好かれない人生よりも、誰かに嫌われるけど誰かには好かれる人生のほうがいい。(ハラスメントと闘う日々⑧)
私と同様に、いや、私よりも酷いハラスメント被害ににあった方と話をしてて感じたこと。
“誰かに嫌われないけど誰にも好かれない人生よりも、誰かに嫌われるけど誰かには好かれる人生のほうがいい。”
その方は、幼い頃からよく嫌がらせに合っていたと言う。私も良くいじめられていた質なので、その気持ちもよく分かる。
でも彼は、その気さくで、何事にも真っ直ぐに向かうピュアな性格から、多くの人に好かれている面もある。
今は、その被害のダメージの大きさから、ネガティブな思いに包まれてしまっているだろうし、そこから抜け出すのも困難だとも感じる。
でも、あれだけ多くの人に支持される人は、特に社外の人たちから支持される人は、私の周りにもそうそういない。
何かに突出している人は、どうしても嫌われてしまう運命にあるのだろうか。
特に、同調圧力の強い大企業においては尚更なのかもしれない。
残念なことに、誰かを攻撃する事で自分の立場を有利にしたり、または自分の立場を守る為に誰かを攻撃する人は後を絶たない。
そしてそれを見ている人も、自分の立場が危うくなることを恐れて見て見ぬ振りをする。または同調して攻撃に加わる。
何故なら、“さかい としゆき”さんの記事にあったように、
『脳は善悪にかかわらず生存するための適応を優先する』
からである。
そんな宿命を、攻撃されてしまう宿命を、彼は背負ってしまっているのだろうか。
今度あったときに、上記メッセージを伝えて見ようと思う。
同調圧力を気にするあまり、自分の身を守ることに精一杯になるあまり、誰にも好かれない人生を歩む方が、余程辛いし悲しい人生だろう。
その時その瞬間は、嫌われる事から逃れられたとしても、それはその時だけの話。長い目で見たら、特に退職し肩書も看板も失った後になって、本質に気づき、きっと後悔するだろうと思うのだ。
少しでも、彼のネガティブな発想が、和らぐと良いなと思う。
自信と尊厳を取り戻す為の闘いはつづくーー。
明日はいよいよ人事との面談だ。