私は適応障害だったのか?(ハラスメントと闘う日々②)
今週は主だった動きはなかった。
窓口の担当者がリフレッシュの為1週間休暇に入った模様。こちらには特に連絡もなく。
なので、何か動きがあれば早くて来週以降だ。
そんな優先度とスピード感なのかと少し残念な気持ちになる。せめて状況連絡くらい欲しかった。
時間ができると、あれこれ色んなことを考えてしまう。
一番は、先日の面談の場で言われた、「適応障害だったのかも知れませんね」、のひと言だ。
適応障害だったのかも知れない
昨年、精神面と体調面が耐えきれなくなり、出社できなくなった顛末を伝えた結果、言われたことばだ。
そんな事は微塵も考えことは無かった。
その原因の一旦はストレスによるものだとは想像はしていた。
脳疲労という症状があるのも知り、それに近い状態だったとも思う。(これは今でも似た症状に陥る)
産業医からもそのような診断はなかった。
でも言われてみると、確かにそうかも知れないと思いはじめた。
適応障害なのであれば、恐らく去年から始まったのでは無い。3年くらい前から体調面の異変は続いている。そしてそれは今でも。
昨年はある意味分かり易い形で強いストレスを与えられ、その症状が悪化したが、その前からストレスはずっと感じていた。
そしてたびたび、身体が重くなったり気持ちが沈んだり、会社に足が向かなくなってしまう日が訪れる。
これを適応障害と言うのだろうか。
そんな事を悶々と考えてしまう。
全く余計な事を言ってくれたもんだ。
個の問題として終わらせてはいけない
こういう正義側が、ひょっとしたら自分自身を更に追い詰めてしまうのかもしれない。
でも、私が適応障害だったと仮に診断されてしまったら、個の問題として片付けられてしまう気がしてならない。
組織としてはその方が都合が良い。
つまりは、私の受け止め方の問題であって、組織としては問題が無かったと説明がついてしまうからだ。
事実、昨年は問題をすり替えられ、その方向に話を持っていかれ、痛い思いをした。
この組織としては、個人の思いや尊厳などどうでも良いのかと思わせられた。
今回、人事に申告しても同じ結末を迎えてしまうのでは無いか。強い不安がよぎる。
私だけが苦しんでいる訳ではない
昨年所属していた部門では、未だに加害者上司の圧力的行為は続いている。未だ苦しみ続けている人達がいる。
しかし、確たる証拠や行為が無いため、訴えても弱い訴えにしかならない事は皆が皆わかっている。
そして不発に終わった場合の報復が何よりも怖い。私の昨年の顛末が良い例だ。あれが何よりも見せしめとなってしまっている。残念な事に。
そして、他部署で私よりも何倍も辛い思いをしている人の存在を知る。
何とかして事実を明るみに出して、誰もが安心して活き活きと働ける環境を作るという、至極当たり前の状態を導きたい。
とは言え…
新たな考えが頭に浮かんで来ている。
もはや、この組織に拘る必要は無いのでは無いかと。
長年に渡って追求してきた組織改革や風土改革、そしてマネジメントの観点から考えると、その理想とされる状態からは程遠すぎる。
いや、程遠くても良い。
現状に固執し全く目指そうとしない現状が一番の問題だと思うのだ。
数字さえ上がれば良い。
例え人の気持ちが二の次になってしまっても。
表向きは個人を尊重するような発言をするが、実態は全く伴ってはいない。
長い年月を経て築き上げられてきたこの文化や風土は、そうそう簡単に切り崩せるものではない。
同調圧力が働いて、ひとりだけ周囲と異なる発言をすると途端に排除される。私のように。
もはや、組織と私の間に横たわるミゾの大きさは、埋めることが出来ないのかもしれない。
せめて橋をかけるくらいは出来ないものかとも思うが、それすら難しいと感じる。
なのであれば、別の選択肢を考えた方が良いのかも知れないと思い始める。
一旦、ここから離れる事で、すっきりするのかもしれない。こんなブログも書かなくてすむかもしれない。
今週は、そんな気持ちで悶々と過ごした。
自信と尊厳を取り戻す為の闘いはつづくーー。