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ハラスメントは起こるべくして起こる。(ハラスメントと闘う日々④)
今週も、人事からの連絡は無かった。
連絡を待つ日々
こういう時、被害者の立場からすると真っ先に動いて欲しいものだが、こんなもんなのか。
知り合いに聞くと1ヶ月待たされたとか。
今回、幹部も含まれている話なので、そのせいで身構えられているのか。
余計なことを考えてしまう。
これも含めて組織の体質なのかもしれない。
人は本能的に被害者を攻撃してしまうと言う話
そんな中、“さかい としゆき”さんという方の以下の記事を見つけて読んだ。
記事にはこう書かれていた。
脳の本来の動物的最優先事項はその個体の生存に他ならない
動物的な脳の部位は「変えること」よりも「適応すること」のほうが「安易」で「安全」であることを知っているからです。もちろんそこに善悪の判断はぽっかりと抜け落ちています。
つまりは、人はその動物的な脳の部位の働きに逆えず、自分を守ることを本能的に選択をしてしまう。仮にその結末として、他人を蹴落とすことになろうとも、その本能的な欲求には勝てないということ。
同じく“さかい としゆき”さんの別記事で、「ヴィクティムブレーミング(被害者批判)」という言葉を知った。
この記事にははっきりと以下のように書かれている。
人の脳はほぼ無意識で衝動的に「被害者を責める」
これは衝撃的な内容ではあるけれど、自分が経験してきた事を思い返すと、なるほど綺麗に説明がついてしまう。そしてこの先の人事との面談の流れによっては、私に矛先が向いてしまう可能性が否定できないことも覚悟しておかなければならない。
防ぎようがあるのだろうか
これが人の本能的な反応なのだとしたら、いくら注意喚起や啓蒙活動をしたとしても、いじめやハラスメントは防ぎ切れないということになる。
いくら取締りや懲罰を厳しくしたところでも、結果は一緒だろう。根が腐っていれば、また腐った芽は生えてきてしまう。
まずは、人は本能的にこういう衝動的な行動に出てしまう生き物だという事実、つまりは弱い生き物だという事実を知る事が、解決に向けた第一歩だと感じる。
でもその自ら本能的に湧き上がるその衝動に抗える人はそうそういない。(そして抗える人は、同調圧力から排除されていく運命を辿る…)
となると、そもそもその様な衝動に駆られるようなシチュエーションが訪れないよう、システムや仕組みの方を変えていくしかないんじゃないかと思う。
それが容易く無い事は嫌というほどわかっている。
でも、例えばサイボウズのように、離職率が20%を超えるようなブラックな企業から、今や働き方改革の代表企業へと生まれ変わった事実もある。
企業という組織体の観点から考えると、いろいろやりようがある様に思える。評価の仕方とか、成果の定義とか。
その為には、これまでの常識に囚われない発想が必要だが、“動物的な脳の部位は「変えること」よりも「適応すること」のほうが「安易」で「安全」であることを知っている”ことが邪魔をするのだろう。
ただ、逆の考え方をすれば、新しい世界に適応しなければ安全が保たれないことにしてしまえば、一気に変革をもたらすことができるとも言えるのではないか。
その可能性を追っていきたいと思う。
自信と尊厳を取り戻す為の闘いはつづくーー。