呪術廻戦から見えてきた幸せと死
呪術廻戦というアニメをパートナーと見ていたら違った方向性から興味深い話になったのでnoteに書き留めておこうと思います。
知らないまだ見てないという人もいると思いますので呪術廻戦(じゅじゅつかいせん)というアニメを要約します。
※ネタバレ嫌な人は、先に前半部分のマンガかアニメを読んでいただくことをオススメします。
前半 あらすじ
主人公の イタドリくんという心根の優しい学生の子がおりましてその子は両親がおらずおじいちゃん子として育ってきた快活な男の子。
ある日、ひょんなことからオカルト研究会が見つけてしまった魔除けかつ特級呪物(とっきゅうじゅぶつ)を手にしてしまいます。
その特級呪物というものは、大昔から封印されてきた呪いの王と恐れられている両面宿儺(リョウメンスクナ)の一本の指でした。
封印されてきた特級呪物をオカルト研究会が見つけ封印を解いてしまったがために、呪霊という呪いたちがオカルト研究会と主人公たちは襲われることになってしまいます。
絶体絶命のピンチになりイタドリくんはその特級呪物を食べて飲み込んでしまいます。特級呪物は強力な力でもあり人間からすれば即刻退治すべきもの。
それを食べてしまったイタドリくんは いずれは殺される運命を、そして一方では多くの人を救うためのヒーローという運命を背負いながら話が進んでいくことになります。
呪術廻戦のアニメのイタドリ君を見て、
死に向かうことが決定しているのに全力で生きてそして他人を救うために尽くす姿が単純にすごいなと思いました。
なぜあんなにも、もうじき 死 が訪れることが分かっているのに明るく活発に突き進んで生きていけるのだろうか?
(ある意味リスクをみればイタドリだけではなく他の登場人物たちもそう。)
死に向かって何のために生きるか?
死に向かって なぜ いか に生きるのか?
人間だれしも1回は考えたことのある事ではないでしょうか。
なぜ生きるのか、私は幸せになるために人は生きているのだと考えています。
では 幸せ とは何だろうか?
お金、地位、名誉、人との良好な関係、モノ、コト.…など欲しいものごと が満ち足りている状態。
ここまでの話で疑問点が浮かび上がってきました。
他人からみて ”幸せそうな人” なのに本人は幸せを感じていない人 がいる
たとえば大金持ちでいろんなものごとが満ち足りているように見える大富豪
なのにまだまだ本人は満ち足りていない と言う。
かと思えば
質素な生活を送っていていろんなものごとが足りていないように見える貧乏人
だけれどもとても幸せを感じている と本人は言う。
この差は何だろう?
パートナーとそんなことを語り合っていたら、
この差はその人それぞれの ”幸せの器の大きさ” が違うのでは?ということに気づきました。
例えていうなら、人にはそれぞれ心の中に幸せが溜まっていく
”器” または”コップ” のようなもの
を千差万別 大小異なるものを持っている。
「前者(幸せと感じきれていない大富豪)」の 器やコップ は
とてーーーーーーーーーーも大きかったり、広い だからその人自身から間近で自分の器を見ると全然溜まっているように見えない。他の人たちと比べると確かに幸せの中身は平均を上回っているはずなのに器が大きすぎるがゆえに幸せを感じにくい。
「後者(とても幸せだと感じている貧乏人)」の 器は
小さなサイズですぐに幸せが満杯になる。だから他人からみるとちいさなことでも幸せがあふれるので幸せを感じやすい。
では、器が小さいほうが幸せで 器が大きいほうが本当に不幸せなのだろうか?
確かに器の小さい人のほうが幸せの感度は高い。
けれども逆に満ち足りていない。もっと幸せが欲しいと思うこともまた違った幸せというか希望なのではと気づきました。
”まだまだと思うこと” ”何かが欲しい、成し遂げたい”ということ自体が生きる糧にもなっているんだろうなと思ったからです。
前者も後者も行き過ぎると返って不幸せになりそう。。
バランスって大切ですね ーAー