高橋幸宏さんの訃報/そう言えば私は子供の頃から<右翼>だったかも

1月15日(日)曇り

1月15日は小正月、昔は成人の日だったが今は第2月曜ということになったのか、ずいぶん早く新年最初の休日がやってくるようになった。明日は薮入り、昔は奉公人の休日で映画館などは賑わったそうだが、そういう風習ももうほとんど廃れたのだろう。今でも当地ではお寺にお金を届ける風習があり、お盆の後は13日にお経を上げにきてくれるから意味はわかるのだがお正月の方はよくわからないのだけど、まあ盆暮の届けと同じような意味合いなのだろうなと思っている。

昨日は時間のある時に「修養の日本近代」を読んでいたのだが、私の持っている修養のイメージと違うことが書かれているのを恐れていた(自分の中で上書きされてしまいそうで)のだが、自分の知らないことが結構あって基本的には世界が広がったという感じがした。まだ28ページまでしか読んでないが、「研修」という言葉が本来「研究と修養」という言葉を縮めてできた言葉だということは目からウロコだった。この無機的な言葉が本来ちゃんと意味があったということを知れたのはよかった。「リーダー研修会」とかでもリーダーとは何かを研究しそれを実現するための修養を行う、みたいに考えれば割と大袈裟になっていい。ある意味おざなりな研修を行う側を威嚇できそうなネタではあるなと思ったが、悪用は控えてくださいね。

夜はブラタモリの大井川の回を見ながら居眠りをしてしまっていたが、川越しのことや逆転した地層の話など興味深いものは多かった。見終えた後はテレビを消したが布団を敷くパワーが出ずにソファーで2時間くらいうたた寝をしてしまい、ようやく起きて歯を磨いて布団を敷いて寝たので、うたた寝時間を入れれば昨夜は7時間くらいは寝た計算になる。

今朝は6時前に家を出てセブンイレブンで飲み物を買おうと思ったら「文藝春秋」の2月号が「創刊100周年」という記念号だったようで、「目覚めよ!日本 101の提言」という特集名を見て買ってみた。面白いかどうかはわからないが後で読んでみよう、と思って目次を見直してみたら村上春樹さんのインタビューなども載っていた。


帰ってきてさて何を書こうかなと考えながらTwitterを開いたら、高橋幸宏さんの訃報。高橋さんは言わずと知れたイエロー・マジック・オーケストラ(YMO)のドラマーで、私自身はそんなに深く耽溺した、という感じでもないのだが、自分の周りに影響を受けた人が多く、いつの間にか自分も聞いたり影響を受けたりするようになって、散開コンサートも切符を取ってはいないのに友人に譲られて武道館へ行くなど縁もあり、その後も坂本龍一さんの出ていた映画を見たり、細野晴臣さんがやっていた「はっぴい・えんど」以来の音楽を聴くなどして(実ははっぴいえんどは中学生の頃から近くの年上の人の溜まり場みたいなところで聞いていた)いろいろな形での影響はあり、高橋さんはその中でははっきりしない印象だったのだけど「四月の魚」などソロアルバムも聞いたりして、とてもいいなあと思っていた。

だから今ではとても好きで今でもアルバムを思い出したように聞いている、というようなある意味遅れてきたファン的なところはある。全くの同時代にいたのだが。

「ライディーン」が高橋幸宏さんの作曲だということは不法記事を見て知ったのだが、「テクノポリス」とかとは違うあのノリが幸宏さんだとわかるとああなるほどねー、という感じはある。高3の頃の友人にはすでに電子楽器を買ってピコピコやってた人もいたのだが、その友人も2年前に亡くなり、なんというか感慨が深い。

Twitterで同年代の人たちの高橋さんの訃報に関するコメントを読んでいると、やはりすっかりハマった人よりはあまりハマれなかったという人たちが多くて、それはそれでよくわかる感じはするのだよなと思う。

YMO、私も当初は好きじゃなかったし、同時代にそんなに深い思い出はないんだけど、今だと好きだと言える。つまり簡単に言えば、お洒落だったんだと思う。でつまりは、お洒落なだけだったのだと思う。そこが本当に80年代的。

「中身のない明るさ」みたいなものが、いや実は私は本当に好きなんだなと思う。いや涙が出るほど好き。知り合いの詩人の戯曲の(つまり自分が上演した戯曲の)セリフに「血の出るような軽佻浮薄に身をやつし」という言葉があるんだけど、マジ好き。

でまあそれは脱構築といえば脱構築なんだろうなと思う。

細野晴臣さんがYMOのベストアルバムを編集していて「YMOはユキヒロのバンドだったんだなと気づいた」と言ったらしいのだけど、それは本当に刺さる。ユキヒロさんは何か企んでそうな細野さんやアイドル的だった教授(坂本さん)とは違って普通にかっこいい。そしてその普通のかっこよさが曲者。ゲルニカとかでも上野さんの音楽や戸川純さんのヴォーカルよりも太田螢一さんの歌詞やヴィジュアルが後々まで尾を引くような感じのところがあるのだなと思う。

高橋さん達が写っている動画を見ていて、なんて言うかこう言うふうに軽やかに遊べる人たち、と言うのがすごく好きだったのだよなということを思い出す。

なんて言うか、後で時代の変わり目みたいなものを感じたのが、細野さん作曲で安田成美さんが歌う「風の谷のナウシカ」が映画の本編で使われなかったこと。あのあたりからYMOの時代がフェードアウトし始め、日本はスタジオジブリの時代になった。宮崎駿さん達のある種古典的である意味健康な左翼思想がもう一度日本を席巻し、軽佻浮薄なかっこよさが後退していったのは、バブル崩壊とその後の日本の苦境とも関係は深いだろう。

ただ、自分が若い時にそれがいいと思ったものの影響というのはやはり大きい。そう言う意味では、そう言う「中身のないカッコ良さ」みたいなボトルにどう言う酒(中身)を入れていくか、と言うのが自分の人生の課題だったのかもしれないなと思う。自分はニューアカだとかそう言うのにそんなに影響を受けてないと思ってたけど、YMOやその周辺には影響は受けてるなあ、明らかに。と改めて思う。

改めて考えてみると、私は若い頃は政治的なものとか思想的なものは関心はあったけど基本好きで花なれてったのだなと思う。避けられないから付き合うし、関心がないわけではないのだけど、基本的に左翼理論とかよくわからないし、避けられるなら避けたいという感じはあった。まあ多分根が真面目だから付き合ってたんだろうけど。

だから音楽でもジョン・レノンとか敬遠してて純粋に音楽で楽しませてくれるポール・マッカートニーが好きだった。ポールのアルバムは解散後10年くらいの分は全部持ってるのだが、エボニーとアイボリーとかなんかある種の政治色が出てきてから聞かなくなった。We are the worldとか言い始めたあたりから洋楽そのものを聞かなくなった。

80年代に出てきた中身がない系の文化人たちも季節が変わると何か言わないといけなくなって概ね左翼方面に流れた印象がある。坂本龍一さんなんかは元々全共闘をやっていたというけれども、ミュージシャンになってからも初期から加藤登紀子さんとかとつるんでいたからその後もある種の整合性はあった。

香山リカさんとか田中康夫さんとかはなんであー言う方に言ったかなと言う感はある。ただ、我々の世代が引退して政治を避けてた贖罪感からか市民のためのえいえいおーとかやってる人は割といて、なんかそう言うのと一連の現象なんだろうとは思う。

だから思い出してみると、若い頃の私は政治的には割とニュートラルなポジションを保とうとしていて、でも周りの影響もあって左寄りの人たちを基本支持していたのが、95年ショック、つまり阪神大震災とオウム真理教事件で明らかにされた社会党内閣の無能ぶりと自民党閣僚の手堅い仕事ぶりなどから保守を真面目に考えるようになり、ゴーマニズム宣言の影響などもあって自分は保守側の考えだと考えるようになっていったのだなと思う。

ただ、いろいろ考えていて思い出したのだが、小学生の時に「マンガ日本の歴史」を読んでいて白虎隊の下でものすごく感動したことがあったのだよな。15歳の少年たちが、鶴ヶ城が落ちたのを見てもはやこれまでと切腹する。そんなことが自分にできるだろうかと腹に何度も刀を持った形で手を当ててみたりしたことがあった。その話を大学に入った頃付き合っていた人に話したら「昔は右翼だったんだね」と言われて「え?」と思ったことを思い出したのだが、特攻隊の話だって結局は「自分はお国のために命を捨てられるだろうか」とかそういうことを考えるわけで、右翼もへったくれもないその時自分はどういう選択ができるかというだけの話なのだが、でもそういうことを考えること自体が多分<右翼>なんだろうなとも思う。

いろいろ考えてみると、自分は小さい頃から結構政治思想的には揉まれてるんだよなあと思ったりもしたが、まあ行き着いたところが保守というのは割と妥当なんじゃないかとは思う。

ただ美学的には保守のアイコン的なものがそんなに好きなわけではないので、その辺もまた考えるところになるのだろうなとは思ったり。

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kous37
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