日本維新の会の議席回復をどう評価するか
日本維新の会が議席をかなり回復し、特に大阪では独占状態になっていることをどう評価するか、ということなのだけど、白饅頭氏などそれをかなり高評価する、つまり「時代精神の表れ」など、ある意味歴史を画する存在になっているのでは、という意見があって、そうなのかなと思って色々考えてみたりした。
その時代精神とは「反権威(≠反体制、≠反権力)」であるというのだが、言葉を変えて言えば「反権威ポピュリズム」ということになるだろうか。もともと野党とか反対派というものの大衆民主主義世界における人気の源泉は「反権威」の要素がかなり強いだろう。「偉そうなこと言ってる奴らをやっつける」ことによって拍手喝采、痛快な思いを大向こうに与える。そういうところは橋下氏などかなり上手い。(やりすぎだと思うが)
少し方向性は違う(というか巧拙の差だという気もするが)松井氏の雨合羽とか吉村氏のイソジンとかの奇天烈なアイディアもむしろ萌えポイントだったんじゃないかという気がしてきてはいる。いろいろな民間の健康法が人気があるのも騙されてるとかみられがちだけど、「西洋医学的権威!」に逆らうという快感が伴うということはあるだろう。
確かにそれはそれで納得できるのだが、果たしてそれが「時代精神」というほどのものかどうかというのは少し疑問だなと思った。
こちらは年代別の政党支持層というグラフなのだが、注目すべきは維新は30代から50代には支持されているが10代20代の支持はそれほどでもないということ。そして若い世代では自民党が多いのは以前から言われていたが、国民民主党が多くなっているというのが注目される。つまり今回の選挙では「新自由主義を終わらせる」ことを主張した岸田政権と積極財政を主張する国民民主党が、若い世代に大きな支持を得た、ということに注目したいと思う。
つまり、若い世代はより合理的な政策判断で投票しているのであり、「大人」のように「反権威ポピュリズム」にはそんなに流されていない。まあ、元々低い投票率の若い世代の中で投票に行くのはある程度の意識を持っている層だということになるが、それが自民党や国民民主党に投票しているということは、ある意味希望が持てることではないかと思う。
立憲民主党は政権交代を唱え共産党と結んでまで野党統一候補を立てたが、結果的には惨敗だった。それは2009年の政権交代の時と違い、「コンクリートから人へ」のようなはっきりとした政権構想イメージを打ち出せなかったことにより、勢いを得られなかったことも大きいだろう。まあこのスローガンは東日本大震災の襲来によってかえって傷口を広げてしまうことになった。「コンクリート」こそが必要とされる事態になってしまったのに、毅然として方向を転換することができなかったからだ。それはイデオロギー先行型の進歩主義政権にはありがちなことで、リアリズムの保守党政権なら君子豹変することもできただろうにと思う。
このままでは立憲民主党に将来は感じられないが、より左派政権の本来の姿、景気刺激による雇用確保や賃金向上などの方向性をはっきりと打ち出し、アイデンティティポリティクスから一線を引いている国民民主党の方が未来を担っていく可能性が感じられる。希望の党の時代には小池百合子都知事に引っ搔き回された感はあるけれども、むしろこれからは国民民主党が二大政党のもう一方になっていってくれると良いのだがと思う。
日本維新の会は幹部や実質的な幹部である松井氏や橋下氏、吉村氏などが大阪に蟠踞するのみで東京、つまり国会に進出してリーダーシップを取ろうとしないなど、国政政党としては問題があるように感じる。大新聞も政治部があるのが東京だけで大阪の政治についてもう一つ的を射た報道ができないことを利用しているようにも感じられる。そういう状況を脱しない限りは維新は地域政党にとどまるのではないかと思う。
とりあえず現時点では、維新を持ち上げるのは過大評価ではないかと私は思う。