ウクライナ:マウリポリのギリシャ系住民
3月22日(火)雪
暑さ寒さも彼岸までという言葉もあり、昨日は春分の日でお墓参りに行ってきたのだが、今朝は雪が降っている。降り出したのは6時過ぎだったか。気温はプラスなので積もらないかと思っていたが思いがけず強めの降りで、屋根や草地などは雪化粧という感じになっている。道路も部分的には白くなっているし、草地にはもう草が生え始めていたので、この雪でどういう影響を受けるのかなという感じではある。
ネットを見ていて、ロシアによるウクライナ東南部・アゾフ海沿岸のマウリポリ攻撃によって、ギリシャ系の住民も被害を受けているという記事があった。
黒海・アゾフ海沿岸には歴史時代以前からギリシャ人が植民都市を作っているので、ギリシャ系住民が住んでいても不思議ではないのだが、現在マウリポリやその周辺の都市・ヤルタなどに住んでいるギリシャ系の住民は、18世紀にロシア帝国によってクリミア=ハン国が滅ぼされた際に移住させられた人々の末裔ということのようだ。
ドネツク州の人口90万人のうちの1割程度がギリシャ系だとのことだが、記事を読んでいたらテュルク(トルコ)語系の言語を話す、とあったのでどういうことかと思いさらに調べてみると、クリミア=ハン国から移住したのでギリシャ人(ギリシャ正教徒ということだろうか)もクリミア=タタールのタタール系の言語を話す人と、ギリシャ系の言語を話す人がいるということのようだ。
彼らは従来クリミアに住んでいたので、ロシアによる征服以前、どれくらいの歴史が彼らの言語にあったのかまでは調べられていないのだが、本土のギリシャ語とはかなり違うものになっているようだ。
有名なヤルタ会談の街、ヤルタはクリミア半島の街だけど、実は同じ名前のヤルタという町がウクライナにもある。
— MASA👾🤍 (@masa_0083) March 21, 2022
クリミア半島から追い出されたギリシャ人たちが、移住先に同じ名前の街を作ったらしい。
いつか故郷のヤルタに帰りたかったのだろうか。 pic.twitter.com/SU7SAbxfpy
マウリポリの近郊にヤルタという名の都市があるのだが、これはヤルタ会談で有名なクリミアのヤルタから移住させられた人たちが同じ名前の都市を作ったとのこと。
先のnoteによればギリシャ系の住民の言語は正書法も文法も確立していないとのことで、子供たちは現代ギリシャ語を学んでいるのだという。自分たちの言語を正確に記録できないというのは台湾語もまたそうだという話は聞いたことがあるが、それがどのような苦労なのかはなかなか想像しにくいが、言語はアイデンティティに関わるものなので、そうしたことが行われると良いのだが、とは思う。
また、ギリシャの首相はマウリポリ攻撃でギリシャ国民が死んだということを非難していて、このギリシャ国民がギリシャ本土から渡ってきた人を指すのかもともともギリシャ系住民のことなのかはわからなかったけれども、恐らくはギリシャ本土からも渡ってきている人は結構いるのではないかと思った。この記事によると数千人のギリシャ国民がマウリポリにはいるのだそうだ。
見落としていたことだけれども、ウクライナは東西にも南北にも開かれた地形であって、もともと多様な民族が住んでいたことは重要なことだと思った。民族的なウクライナ人、ロシア人、クリミアタタール人やユダヤ人、ルーマニア人、ギリシャ人やロマ人など、それらの人々がウクライナでどのように暮らしてきて、そしてこの戦争でどういうことになっているのか、そうしたことも伝えられると良いのだが、なかなかそこまで報道は回ってこないのだろうなと思った。
一刻も早いロシア軍の撤退を願いたい。
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