【推しの子】最終回:物語の太いストーリーとキャラクターへの思い入れとのバッティング/日本の二次創作文化とAI絵を憎む人たち/マンガの整理と発見

11月14日(木)晴れ

昨日は全体的に、いろいろ考えが浮かんできてもまとまらず、そのせいでなんとなくだらだらした感じがあって、これをしようという感じにならないままなんとなく時間が経っていく感じになってしまった。お昼前に銀行で記帳するついでに昨日書いたパン屋に行ってみようと思って前を通ったら、駐車場が渋滞しているし順番待ちの行列が二十人くらいになっていて、これはダメだと思った。驚くくらい繁盛している。

銀行で記帳したあと西友へ行ってもやしと豚コマとその他少々買って家に帰り、残った野菜などを使って昼ごはんを作って食べる。節約志向になってくるとやはり自分で作るようになるし、適当に作っても温かいものが食べられるから案外満足感はある。食べ過ぎに用心だなと思う。

午後はマンガの単行本や雑誌を整理していたのだが、読んでいる作品で単行本を買っているものは単行本化した部分は雑誌を処分するようにしているのだけど、スペリオールを読んでいて単行本を買ってない「れんげとなると」をもう一度読みたいなという気がしてきて、スペリオールを処分するのを中断した。古雑誌も取っておければ取っておきたい気持ちはあるのだけど、スペースの限界もあるのでこれはという記念号だけ取っておくようにはしている。それでもだんだん溜まってくるのは仕方がないのだけど。



今日発売のヤンジャン50号で「【推しの子】」が最終回。166話が最終回「星」となった。私はルビーが闇落ちしたあたりで少しげんなりしてしまった部分はあったのだが、アクアが自分の前世がゴローだということを明かしたあたりで読む気が復活し、最後まで読み切ったという感じだった。「芸能界」と「嘘」という大きなテーマが途中で人間関係や恋愛の方向に集中する読者が増えてきて、この作品に関してはコメント欄がちょっと良くない感じになっていたなあと思う。

以下ネタバレ含みます。

登場人物がみな魅力的だったから「有馬かな」「黒川あかね」「星野ルビー」の誰と「くっつく」のかという話題が盛り上がりすぎて、ラストに向けてそういう話ではなさそうだぞ、ということになったあたりからコメント欄が荒れ始めた。

ラストは「アクアがカミキに殺された」という「嘘」によってルビーを救おうとするアクアの辛い「嘘」が登場人物たちみんなに大きなダメージを与えたものの、ルビーは大きな悲しみから抜け出せないまま、「悲しみが癒えたという嘘」をついて立ち上がっていき、そしてアイの夢でありルビーが受け継いだ「東京ドーム公演」を実現する、という話になっていて、「痩せ我慢」とか「強がり」という嘘がルビーをより美しく強く見せる、まさに「芸能界において嘘は武器だ」という話になっているわけである。

ただ、それぞれのキャラクターが非常に魅力的だったからこそ、その結末では納得できない、という人を多く産んでしまったのだろうな。だからといってそういう人たちが作品を読まないかといえば読んで文句を言っているのだからまあ仕方ないといえば仕方ないのだけど。

私は個人的には、この「東京ドーム公演が最終回」というラストは、「ふつうの軽音部」で鳩野たちが「メジャーデビューとかの目標でなく文化祭の後夜祭の大トリを目標にする」というラストに重なった。そういう意味ではアイドルグループの目標が達成されるということこそがラストにふさわしいのだよなと思う。そういう物語の枠組みはきちんと守っているのだけど、キャラクターたちに思い入れするタイプの読み方の人が思ったより多かったということでこういうことになっているのだろうなと思う。

赤坂さんは基本的に物語の風呂敷をどこまでも広げていくタイプの作家だと思うので、それをどう畳んでいくのかというのは興味はあったのだけど、キャラクターで広げた部分をうまくたたみきれなかったということはあるのかもしれないなとは思う。ただまあ、そういうタイプの作品ではなかった、ということかなとは思うのだけど。

「進撃の巨人」のラストもさまざまな賛否両論が起こったけれども、作者のイメージする物語を超えて、読者のイメージする物語は広がっていくので、それは名作の所以でもあるけれども、思ったエンドにならなかったと不満を持つ人も産んでしまうのだよなとは思った。

おそらくこの作品はこの熱がもう少し収まってから読むとより納得的なものになっているのではないかという気がする。冷静な読みが出てこないと、収まらない部分はあるのだろうなと思う。作品とファン=読者の関係について考えさせられる作品ではあったなと思う。

個人的には作品が畳まれそうになってきたら心の準備をしてあまりショックを受けないようにする感じではあるので、157話の「なんにもない日、すてきな日」を読んだときにバッドエンドは予想した、というか「フラグ」を感じた人は多かったと思うのだが、そのバッドエンドをどのように演出するのか、ということに関心が傾く感じだった。

カミキが思ったより怪物だった、という話はまあそうだろうなとは思ったけれども、ある意味「鬼滅の刃タイプ」というか、「鬼舞辻無惨はどこまでも悪人でしたラスト」のパターンなのだなという納得の仕方だった。

そして最終話を読んだ今では、やはりこの話はアイとアクアとルビーの話であり、特にやはり前世の病弱なさりなが生まれ変わって夢を実現する、という太い筋がこの物語を貫いていて、割と行き当たりばったりの作劇法を標榜している赤坂さんが細部を描きすぎたために人気が出た一方、失望も買ったという感じなのかなと思う。

まだまだこれからいろいろ思うところは出てきそうだが、とりあえず166回、3年強にわたる連載を最後まで楽しませていただいた赤坂アカ・横槍メンゴ両先生にありがとうございましたと言いたい。ありがとうございました。そして、お疲れさまでした。


少し似たような部分を感じる話ではあるのだが、Twitterでとある騒動が起こっていて、それはツイッター社がTwitterにあげた画像をAI絵に利用するという規約の変更を行うらしいのだけど、日本にはAI絵に強く反発する、というか心の底から憎んでいる人が結構いて、その人たちが「二次創作の絵がAIに利用されると今までグレーゾーンで許されていた自分たちの創作活動が違法なものになりかねない!」と主張して、その主張によって多くの二次創作をTwitterにあげていた人たちに影響し、アカウントを閉じる人が多く出てきている、ということである。

この辺り、私はまあ規約的なものもそれがどれだけAI絵に利用されるのかも、またその法的な部分がどうなるのかもよくわからないので今のところそんなに神経質になるのもどうかなという気はしているのだけど、おそらくは絵を描ける、二次創作絵を描けるということを自分のアイデンティティにしている人たちにとってはかなり重大な問題なんだろうとは思う。

その辺りのところは、例えば山田太郎議員や赤松健議員に陳情してアドバイスをもらったりすればいいという気はするのだが、そうするよりは「Twitterで二次絵をあげている私たちのモラル」みたいなものを自主的に定めてそれを皆に遵守させようという感じになっているのだなと思う。

この辺りは昔聞いたジャニーズアイドルの追っかけのリーダーをやってた人たちが、追っかけグループに属さない「にわか」のファンの自分たちのルールに反する行動に対して糾弾したり焼きを入れたりする話を思い出した。

まあ全体的にグレーな話なので何が適切なのかわからないし、彼らのいうことが正しいのかもしれないのだが、私自身としてはちょっとそこまで、つまりアカウントを閉じることを半強制することまではどうかなと感じている。好きな絵を好きなように描いてアップするのを楽しみにしていた人にとっては、いろいろ言われるくらいならやめてしまうということになってしまうだろうから、それを楽しみにしている自分にとっては残念だということなのだが。

まあこの問題がどのように展開していくのかはよくわからないのだが、根本にはAI絵に対する根深い不信、またAI絵を描く側のマウントを取る態度、より根源的にはAI技術と法制度、企業側の態度などさまざまな問題が絡んでくるので、そう簡単なことでもないのかもしれない。

日本の二次創作文化というものは法的にはグレーでいくしかないとは思うのだけど、マンガや絵描きの底辺を広げるためにはすごく大きな文化だとは思うので、守られていくと良いなあとは思っている。

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