時間に追われる/「ヌケ」感
9月1日(木)小雨
今日から9月。その雨も秋霖という感じ。
いろいろやることが多く、というよりもやり忘れていたことが次々に出てきてスケジュールを侵食していくのは困る。25日までにやるはずのことに昨夜気がつき、やりきれなかったので朝5時前から職場に向かって仕事を片付け、今戻ってきてブログを書いている。
いろいろ考えることもあるし、これをやろうと思うこともあるのだが、全てをワンオペで回しているので順番にしか片付けられず、本当にこの辺のところはなんとかしたいと思うのだが、なかなか解決の手立てもなくて困っている。
昨日は今週としては時間があったのだが、いわゆる雑用に追われてまとまった時間を取れなかった。いろいろやらなければならないことはあるのだが、と最初に戻ってしまうので、なんとかしないとなあと思う。
ランガーの「シンボルの哲学」をちょっと読んだのだが、面白いかもと思ったので後で借りてこようと思う。
ふと思ったのだが、日本人がやっている西洋美術というか芸能というか、そういうものには基本的に「ヌケ」感がないことが多いなと思った。社交ダンスとかバレエとかみていても「ヌケ」てこないものがある。この辺、どういうことなのかまだ考えないとわからないので、メモ的に書いておく。
そして、ヨーロッパ的なヌケ感とアメリカ的なヌケ感、日本的なヌケ感というのはそれぞれ違う感じがある。「ヌケ」というのはある種の自由自在さ、みたいなものだと思うのだが、考察はまた改めて。
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