自己紹介・プロフィールの書き方
おはようございます。あるいはこんにちはこんばんは。
昨日、noteで自己紹介というのを書こうと思って一度書いてみたのだが、どうも求められているものと違う感じがして、他の人のものなど少し読んでみたのだが、つまりは自分がこのnoteという場所で何をしようとしているのかがわかるものを書けばいいのだなということがわかった。
と思ったのだが、はて、自分はこのnoteという場所で何をやろうとしているんだろう、と思った。つまりは文章を書こうとしているわけだが、それは皆書いてるので「文章を書きます」だけでは自己紹介にはならない。
あとはキャラ設定を書けばいいということか。これも難しい。いろいろ読むと、「こういうキャラだから、こういう絡み方をしてね!」という指定がなされているんだな、と感じることがある。こういうのは上手い人は上手いのだろうな。SNSなどで「自己紹介」というのに慣れていると、ああこういう感じの人ね、というのがわかりやすい人が多いが、年配になると「自己紹介そのものが一つの芸」になっている人の自己紹介文には感心させられるのだが、多くの人は大体痛い感じがするし、それは自分もご多聞に漏れない感がある。
これは、その人が世の中でどういうふうに生きているかの反映でもある。「高校生です。社会問題についてつぶやきます。」と書いてあれば「よしよしおじさんが/おばさんが優しく誤りを正してあげよう」みたいな感じで近寄ってきて、見事に「おじさん/おばさんホイホイ」として大漁、みたいなこともできるが、「経済学者です。日本の財政赤字を憂いています。」みたいな紹介だとアンチが湧くだけでなかなか大変だろうなと思う。
しかし考えてみると、学者さんは自己紹介に自分のポジションを書く人(特に英語で書く人が多いのはなぜだろう)は多いが、「〇〇学者です」と書く人は見たことがない。〇〇を研究しています、という人はいるけれども。そう言えば学者を自称している人は見た覚えがないな。自称学者はいるかもしれないけど。その辺に学者という人たちの自意識がありそうなのも面白い。
ああこういう文章は難しいな。いかにも面白いでしょう、みたいなことを書いていくと自分がしらけるし、ただそれはそういう文章を書くためにはしらけないで最後までそのノリを維持しないといけない。そうね、ノリで書く文章はそれはそれで難しい。最後までしらけないのも一つの才能だしな。
つまりは、自己紹介、あるいはプロフィールというものは自分自身を読者に向かってプレゼンする、ということなんだろう。私などはもともと文章は感じたことをそのままなるべくその感じたニュアンスを生かして書きたいと思うので、自分自身について感じていることを書けばいいということなのかな。
しかしまあそれはあまり書きたくないよね。(笑)
著作の著者略歴に書くようなことならそれはそれでいいし、また私などもそこは書店で本を選ぶ際などにはかなりそこは参考にする。この大学だからこういう学派だろうな、という推測もするし、このくらいの年代生まれならだいたいこういう考え方の人なのかな、みたいな推測もするから。
そう言うことで言うと、ネットでの自己紹介というのはあまり参考にならないことが多いのだよな。「フェミニストです」「反原発派です」みたいにはっきり書かれているとああ読まなくていいな、という判断はできるが、プロフィールを見て「絶対この人をフォローする」と思うことはほとんどない。文章やツイート、写真を見てああこういうのを読みたい/見たいなあ、と思うものをフォローするわけで、そういう意味ではあまり役に立たないかな。
役に立つとすれば、「こういう本を出してます」「こういう企画をやってます」「こういう公演をやってます」みたいな活動報告だろうか。だから著作家、演奏家、演劇人、みたいな人たちにとってはプロフィールは大事だなと思う。
それよりも結局、noteにしてもそうだがTwitterやブログなどに求めるのはむしろ、「座談の名手」みたいな人が多いように思うし、そういうのはプロフィールだけ読んでもわからないのだよな。まあ、プロフィールそのものが芸になってる、というのはきっとこの人のツイートや文章は面白いだろう、と期待させてくれるから、目指すとしたらそういうものなのかもしれない。
そんな感じで、今日も一日お元気で。
自己紹介/プロフィールについて、また考えたら書いてみます。