お節介で世話焼きな人たちが成り立たせている話/その国の社会はその国の人たちが作り上げてきた歴史の上に立つもの

9月22日(金)雨

今日も朝から母を病院に連れていくので短く。

「しあわせは食べて寝て待て」を1巻から読み直して、どういう話だったのかをもう一度把握したのだが、難病に取り憑かれた若い女性(30代後半)がひょんなことから周りと関係を作りながら、自分を休めることと自分にできることを一つ一つ試行錯誤しながらやっていく、という話なのだなと思った。周りに出てくる人たちはみんな「普通の人」とはいえないが、それぞれその人らしくやっていて、操作的な人も何人かいるのだが、基本的にはお節介で世話焼きな人が多いのもこの話を成り立たせている重要な要素だろう。周りにこんなに世話焼きがいるという環境は本当にあるのかなという気はするが、うまくいけばいい感じにはなるのだろうなとは思う。

スウェーデンで移民が増えた結果犯罪が激増、みたいな記事を読んでいて、スウェーデン、特に社会主義政党は「人類の理想のために」難民政策を推進してきたが、その岐路に立っている、みたいな話があって、北欧に学べという人たちはこういうこうともちゃんと学んで欲しいなと思うのだけど、貴重な実験例としては見ていくべきだと思った。

その国の社会というものはその国の人たちが長い歴史の中で作り上げてきたもので、それは一見強固に見えるがその歴史を共有しない人たちが多数入ってきたらそういうものを維持していくのはそう簡単ではない、という当たり前のことが、なかなか理解されないのは残念なことだなと思う。

未来ばかりではなくて過去の歴史や他国の例を見ることの重要さというものを、もっと考えていかないといけないと思った。

アートと人間については今切り口をまた探っている感じではあるが、自分の描いたものなどまた見直したりしながら考えてみたいと思う。

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kous37
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