ナチスに関わるもののややこしさからワグナーを敬遠する
1月14日(日)曇り
昨日は疲れていて、夜ブラタモリを見ながら寝落ちしてしまい、起きてから録画で少し見た。ついでに「光る君へ」の第一回の録画を少し見たが、どうもやはり自分の感覚に合わない感じがあって、今シーズンの大河は見送りかなという気がしてきている。ただ、平安中期を題材にした大河というもの自体は貴重だから、録画はしておこうと思う。見る気になったら見るとして、とりあえず現時点では撤退しようと思う。
なんだか中途半端に寝落ちして、ソファで寝たまま10時過ぎたのを自覚したがそのまま寝てたら1時になっていて、それから寝床に入ったがどうも寝床が冷たくて浅い眠りになったようで、4時過ぎに起きたのだが起きてからもなんだか中途半端に眠くて、どうも睡眠に失敗した感じ。きちんとした睡眠はやはり大事だなと改めて思っているところではあるのだが。
昨日は雪が降ったので車の着雪を取るために出かける前に暖機をしているのだが、これが結構ガソリンを食うようでどうも困ったなと思ったり。現実問題、フロントガラスが見えるようにならなければ動けないので仕方はないのだが、いろいろ工夫が必要なようだ。
朝車を運転していて、ワーグナーの「ワルキューレの騎行」や「ニュルンベルクのマイスタージンガー序曲」がかかっていて、ああいい曲だなあと思いながら聞いていたのだが、そういえばこういう曲はイスラエルでは演奏できないんだっけ、とか考えていて、そういえばそういうアヤがついた作曲家だからワグナーやリヒャルト・シュトラウスはあまり聞かなかったのだよな、ということを思い出し、なんだか損をしてたなと思った。
これはナチスを攻撃・否定する言説が「それに関わるもののややこしさ」を喚起して、「面倒くさくて近づきたくないもの」にしていたのだろうなと思う。これは日本近代史もそうだが、若い頃は特にそういう面倒なものには近づきたいと思わなかった。
今日は東京に帰るので、少しディスクユニオンなどでワグナーでも探してみようかなと思う。
もう少しいろいろ書くつもりだったが時間がなくなったのでこれまでで。