「鎌倉殿の13人」:北条時政の哀愁と源頼朝の哀愁
3月7日(月)晴れ
いろいろと考えごとがあったせいなのか、体調的な問題なのか、夜中に何度も目が覚めて手洗いに行く感じだった。今朝は何日かぶりに冷え込み、マイナス5度を下回ったから、寒さで目が覚めるというところもあったのだろうと思う。こういう時は体調を整えて、気持ちをしっかりと落ち着けていかないといけないと思う。
「鎌倉殿の13人」第9回「決戦前夜」。頼朝が義時の祖父にあたる伊東祐親を畠山重忠と和田義盛に討たせる、ということを聞いて三浦義村と祐親と八重を助けに行く義時だが、八重の夫江間小四郎は祐親の家人善児に討たれ、八重と祐親を伴って鎌倉に帰還する。彼らは三浦の預かりになるが、八重は頼朝の御所に仕えることを申し出、政子は渋々それをそれを受け入れる。
頼朝軍は平家の追討軍が陣取る富士川で時政の連絡により武田と合流するが、なかなか頼朝の意図するように動かない不器用な時政に頼朝は業を煮やす。三浦義澄にも「坂東武者と頼朝を繋ぐのはお前だ」と言われ、頑張ろうとするのだが、結局武田と頼朝の酒宴で自分が一番酔っ払ってしまう。
河原で佇んで義澄や義時に励まされる時政だが、彼の水辺での動きによって水鳥の大群が飛び立ってしまい、それを敵襲と勘違いした平家軍は総崩れとなって陣を払う。水鳥のエピソードを時政の哀愁に結びつけた演出にしたわけだ。
すぐに追っ手をかけることを命ずる頼朝だが、坂東武者たちは富士川までの兵糧しか持っていなく、また自分の所領を狙う者がいる状況の中ではそれに応ずるものもない。気が弱くなっている時政もこの時には、「我らは所領が何よりも大事だ、所領のない佐殿にはわからないのだ」と頼朝に告げ、頼朝は受け入れざるを得ない。頼朝は義時に「坂東武者と自分とどっちを取る」と言雨が義時は答えられず、結局鎌倉に帰らざるを得なくなる。
その時に奥州から兄の元に駆けつけた義経が現れる。義経は藤原秀衡の書状を見せ、「兄上と共に父上の仇を討ちたい!」と力強くいう。孤立無援になっていた頼朝は、義経の心情に触れ、「よう来てくれた」と慟哭して抱き合う。それは坂東武者たちに対する演技とは全く違う、真情からの叫びで、それを見ていた義時も、なんとも言えなかった。
相変わらず盛りだくさんの展開なのだけど、今回は時政と頼朝の哀愁がポイントだったかと思う。八重の危うい決意も危ういし、江間の八重への想いなども重いのだが、物語の上では時政の置かれたポジションの重要さとそれに比しての時政の不器用さ、また神輿として担ぎ上げられるが坂東武者を頼らなければ何もできない自分の立場と清盛を討ちたいという心情を分かち合うことができる弟・義経に対する頼朝の感情の爆発がポイントだっただろう。
史実の二人の再会がどういうものだったのかはわからないけれども、京へ上りたい頼朝と坂東武者たちの思いの乖離、それを義経との再会という場面を組み合わせてよく表現したなあと思った。
水鳥の故事を時政の哀愁に組み合わせるのはちょっとやりすぎのような気はしたけど、「鎌倉殿の13人」というドラマはそのような組み立てで話を作っていく方針なのだなということはよくわかった。
世界では実際に戦争が行われる中、こうした戦場のドラマを見るのは精神的にもちょっと負担はあるのだけど、日本中世と現代東欧の落差のようなものもあるし、よく知られている故事をどのように演出するかという楽しみもあるので、今後も見ていきたいと思う。
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