衆院選をざっと振り返って:平成政治は終わったのか/アダム・スミス以前の経済学者たち

忙しいので選挙も投票に行けず、開票速報も途中で見るのを辞めたのだが、自民党は過半数を越え、与党は安定多数を確保したのでとりあえず岸田政権は信任されたということだろう。ただ、甘利幹事長が昇仙峡で落選し比例復活ということで、選挙を預かる自民党幹事長としては史上初ということで、やはり引責は避けられないだろう。誰が代わりをやるのかというのも難しい問題だが、まだ名前は出てきていない。

そのほかにも辻元清美氏が比例でも復活できず落選とか、小沢一郎・中村喜四郎など昭和から選挙では絶対的な強さを見せてきた古株議員が小選挙区で落選するなど、それなりの変化も見られた。彼らが比例復活しなければ本当に世代交代と言えたのだが、当選者の平均年齢や女性比率など、これからいろいろ出てくる数字によって何がどれくらい変化したのかがだんだん明らかになってくるだろう。

印象としては「平成政治の終わり」ということはある。ただ、まだこれから見ていかないとわからないことは多いように思う。

目立った変化は維新の復活だが、最も多かった2012年には及ばない。しかし当時はまだブームの域だったが、今回はある程度定着したとは言えるのだろう。しかし大阪の小選挙区では15議席の圧勝だったが、その他の小選挙区は兵庫の1議席のみ、比例区の当選者15のうち10が近畿ブロックで、これも大阪での得票が大部分だっただろうから、「大阪の地域政党」色がさらに強まったという感じがある。こうした変化も最初のインパクトの印象に左右されがちだが、その辺りは状況が完全に確定してからもう一度見直したほうがいいと思う。

各政党ともいろいろと課題はあるようで、大勝した維新も代表選に松井・吉村両氏は出ないようだし、国会議員の中から選ばれるということになるのだろう。それがどの程度の求心力を持つのかはよくわからない。

また、よく言われることではあるが、大阪の政治状況は他の地方からはわかりにくい。東京なら都知事選などでも新聞社をはじめとするマスコミの政治部が動いて分析が行われるが、大阪の選挙は政治部が動かない。というか大阪の新聞マスコミには政治部がないので、社会部的な情緒的な分析が行われがちで、他の地域の人に伝わらないという問題があると思う。大阪がこれだけの現象の震源地となっているわけだから、今後は大阪にも政治部を置くことを考えたほうが良いと思う。

平成政治は終わったのか。次の国会が召集され、新たな議論が行われていく中で(そう言えば次の国会では辻元議員の質問はない)新たな日本の政治の姿が見えてくることになるのだろう。

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根井雅弘「経済学のことば」(講談社現代新書、2004)を読んでいるのだが、経済学史についてやはり知識が足りなかったなあと改めて思う。アダム・スミス以前の経済学者としてペティ、ステュアート、カンティロン、ケネーが挙げられているのだが、ケネーはもちろんフィジオクラットとして有名だから認識していたけれども、後の3人はちゃんと知らなかった。

ペティ Sir William Petty(1623-87)はホッブズはフランシス・ベーコンの同時代人で、特にベーコンの影響を受けて経済を計量的に捉えることを始め、Wikipediaによれば労働価値説を唱えた人であるようだ。つまり計量的・「科学」的な経済学の祖、ということになるらしい。

ジェームズ・ステュアートSir James Steuart, 3rd Baronet of Goodtrees and 7th Baronet of Coltness(1712-80)は政府の役割や有効需要の考えを提出した人のようだが、日本ではあまり知られていないようで、Wikipediaでも日本語ページがなかった。スミスと同じくスコットランド人だがジャコバイトの反乱に加担するなどしたため亡命を余儀なくされるということもあったようだ。

カンティロンRichard Cantillon(? - 1734)は生年も不明の人物だが、アイルランド出身でフランスで活躍し、「ローのシステム」で有名なジョン・ローの知遇を得た事業家・経済学者であるとのこと。この本によると、特に「企業家精神」に注目し、経済を動かしているのは企業家たちである、ということを重視したことが注目されるということのようだ。

ケネーFrançois Quesnay(1694-1774)は重農派と呼ばれるが、これはコルベールの重商主義が製品輸出を有利にするために賃金を下げ、そのために農産物の価格を下げる政策を取ったことを批判し、適正な価格や富の再生産について論じ、また初めて「学派」を形成したことでも知られている。こちらは国家による過度の干渉を批判したわけで、「レッセフェール」は彼が形成した重農派が唱えたことで知られている。

スミスAdam Smith(1723-90)については自由放任主義、「見えざる手」という言葉が一人歩きしているが、彼自身は「道徳感情論」を書いているように抑制的な面もあるということを著者は強調していて、その辺りはもっと注目されていくべきだと私も感じた。

彼の理論は現代のネオリベラリストたちにいいように利用されている面があり、それらを批判していくためにも「アダム・スミスに帰る」ということもまた重要なことかもしれないと思った。

経済学というのもなかなか勉強する気にならないのだが、こういう歴史的なアプローチからなら少しは勉強する気になるかなとは思った。特に、個々の「経済学者」が実際の政策面にどのように関わり、どのような成果を上げて行ったかはきちんと知っておいたほうが良いなと思った。


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kous37
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