「ふつうの軽音部」が「次にくるマンガ大賞」Web部門第一位に!/「次にくるマンガ大賞」は何を目指しているのか
8月29日(木)曇り
8月も月末になってきた。台風が来ていて、毎日天気があまり良くないが、ここ何日かはそんなに激しい雨もなく、天気が悪くて気温が上がらないので冷房をほとんど使っていない。だからといって過ごしやすいというほどではなくて、ジメジメして虫が湧きやすく、洗濯物も乾きにくいし、気持ちが悪い面もある。夏の終わりだから仕方がない面もあるが、この台風もまだ夏台風ではあると思うし、台風一過で気持ちよく秋になる、というわけでもないのだろうなとも思う。
政治情勢的なことやネット(と言っても私が見ているのは主にTwitterだが)での様々な出来事はいろいろあるが、昨日は「次にくるマンガ大賞」の発表があり、私が今一番熱心に読んでいる「ふつうの軽音部」がWebマンガ部門で第1位を獲得した。おめでとうございます。
このマンガ賞はKADOKAWAグループのニコニコ動画と雑誌「ダヴィンチ」が主催するものとのこと。私はノミネートの際には投票したのだが、肝心の読者投票の時に投票するのを忘れていて、しまったと思ったのだが、見事「ふつうの軽音部」が受賞してよかったなと思ったし、大変嬉しかった。
情勢的なことを先に書くと、Webマンガ部門では2位が「ルリドラゴン」、5位に「サチ録」と読んでいるマンガが入ったが、そのほかにも4位に「クソ女に幸あれ」7位に「ケントゥリア」とジャンププラスの作品が5作品入り、webマンガにおけるジャンプラの圧倒的な強さを改めて見せつけた感じはした。
コミックス(紙の雑誌)部門では7位が「鵺の陰陽師」、10位に「キルアオ」20位に「極東ネクロマンス」と読んでいる作品が入ったが、ほかにも1位が「カグラバチ」6位が「超巡!超条先輩」16位が「グリーングリーングリーンズ」(すでに連載終了)と全部で6作品がジャンプからランクインした。
webマンガ部門では他のサイトで私が読んでいる作品は入っていなかったが、コミックス部門では8位に「のあ先輩はともだち」(ヤングジャンプ)17位に「路傍のフジイ」が入っていた。
コミックスの方では1位の「カグラバチ」は評判なのは知っていたがなんとなく絵柄が好みに合わなくて読んでいなかったのだが、せっかくだからと無料公開分(ゼブラックというアプリで今なら6話まで読める)を読んでみたら思ったより面白く、特にシャルという少女キャラがいいと思った。私はこれを見て連想したのは「ブラックジャック」のピノコだったが、今の人にとってみたら圧倒的に「スパイ×ファミリー」のアーニャを思い出すだろうなと思う。最初に平和な家族の場面、次にそれが惨殺される場面が来るというのは「鬼滅の刃」のパターンだし、協力者を得てそれをやったグループを追うというのは鬼殺隊を思い出させるわけだが、「カグラバチ」には今のところ修行編はない。しかしそれが不自然でない展開になっているのはうまいと思った。
2020年に手塚賞準入選という経歴は最近では山田金鉄さん(現在は講談社系で書いている)池沢春人さん(おそらく現在のペンネームは橋本悠で「2.5次元の誘惑(リリサ)」を執筆)以来知っている人がいない感じなのだが、華々しいスタートであるには違いなく、19歳での受賞3年後、つまり昨年にジャンプ本誌で連載を始めてついにある意味トップに上り詰めたわけだから才能も勢いもある存在であることに間違いはない。
たまたまだが昨年の42号から後のジャンプ本誌はまだ保存してあるので、無料公開分と合わせれば本誌連載まで追いつけるので、時間のある時に読んでみたいと思っている。
「ふつうの軽音部」もそうだが「カグラバチ」も私は読んでなかっただけでネットではかなり評判になっていたのは知っていたので、今回も「次にくるマンガ大賞というけれどももう来てるじゃん」という声はかなりあった。というかこのこと自体も「夏の終わりの風物詩だ」という話もあってなるほどとは思った。
しかし現実には「ワンピース」や「スパイxファミリー」ほどこれらの作品が知られているわけではないのは確かなわけで、つまり「熱心にマンガを読んでいる人(彼らの多くの自己認識で言えばオタク)」の人たちにとってはすでに評判になっているけれども、まだまだ多くの人にとっては知られていない、そういう作品だということになる。
これに理屈をつけて言えば、いわゆる「イノベーター理論」において、イノベーターが作り出した「新しいモノ」に対して、最初にそれに飛びついて評価する「アーリーアダプター」には受けているが、マジョリティにはまだ届いていないという段階のマンガたちだ、ということになる。
このイノベーター理論で言えば、「アーリーアダプター」が受け入れても、比較的早めに新しいものを受け入れるマジョリティ、つまり「アーリーマジョリティ」が受け入れるまでの間には「キャズム」と言われる言わば一度「谷」があると言われている。つまり、「新し物好き」と「感度はいいけど受け入れるまでに時間がかかる人」の間にある「谷」をどう乗り越えるか、が新しいものが定着できるかどうかの試金石になる、というわけである。実際、新し物好きは受け入れたけれども結局広まらなかったものはたくさんあるわけで、その死屍累々を少しでも減らす、少数の人が受け入れた作品の魅力をより多くの人に届ける、という目的がこの「次にくるマンガ賞」の意義だということになるのだと思う。
実際、日本は本当にマンガ大国で、次々に新しい作品が生まれてくる。その中には面白いのだけど人気がいまひとつでなかった、という作品はたくさんあるし、特に「少年ジャンプ」では最初の10週ほどで(その後も定期的に)ある程度のアンケート結果が出なかったら切られる、というシビアな世界があるので、「キャズムを乗り越える」というのは重要なことになるだろう。
実際、「次にくるマンガ大賞」では16位にランクインしているのにすでに連載終了になっている「グリーングリーングリーンズ」もあるわけで、こうした作品は次に来ることはもうないのだが、それでも次に向けてのステップにはなるだろう。
実際「ふつうの軽音部」や「カグラバチ」はすでに加速度的に読者を増やしているのでこの受賞も大きなステップになると思うのだけど、私のように食わず嫌いで読んでいない読者も多いだろうから、こうした賞はとても意味があるなと思う。
「ふつうの軽音部」はどこが面白いのか、ということについて昨日はいろいろ発言があってそうかそういうことだったのかと言語化されて面白かったのだけど、自分が説明するのはまだもったいないなと思うところがある。というかすでにいろいろ書いているのでそちらもご覧になっていただければ幸いです。
この作品の魅力は本当にたくさんあるのだけど、出てくるキャラクターが本当に実在感があるというか「こういう人いるよね」という特徴の捉え方が抜群だというところが一つある。そしてそれが単に類型的でなく、実在性のあるキャラクターに仕上げられているというのがすごいと思う。元々この作品は「ジャンプルーキー」でクワハリさんが自分の絵で描いていたのが大人気になって出内タツオさんの作画を得てジャンププラスで連載されるようになったという経緯があり、読者の間では「ジャンプルーキー」版は「旧約」などと言われていたりするのだが、こちらをみても時々Twitterで公開されるクワハリさんのネームを見ても、クワハリさんの観察力とそれに肉付けするセンの確かさというのもいつも感じるのだけど、それを具現化し表現としてさらに付け加えて面白くする出内さんの絵もいつもすごいと思う。
ストーリーに関しても、毎回必ずオチがあるし、次回に向けてのヒキがある。オチがヒキを兼ねていることもある。当たり前のようだけど、これが毎回必ずテンポよく決まるということが面白さの大きな理由だと思う。という意味では連載ものの基本に忠実だということなんだろう。
モブとして出てきた人間がいつの間にかそれなりに重要なキャラになってるという展開も、現実の高校生活の中で自分の日常にとってはモブでしかなかった人がいつの間にかかなり関係のある人になっている、という展開はよくあるわけで、そういうレベルのリアリティがあるのがすごいなといつも思う。
キャラに適度な思い入れがあるのも感じるし、そして適度な突き放し方、客観性と批評性もあって、ふつうだったそれを5:5でバランスを取るようなところが、両方とも10を出してきて10:10でバランスを取っているような凄さと言えばいいだろうか。
昨日聞いた話で面白かったのは、ベース担当の幸山厘というめちゃくちゃ情報通で隠れて交錯する陰謀キャラがいるのだが、「こういう人っていますよね」という発言があって、流石にそこまでの陰謀家は普通はいないんじゃないかと思ったけど、確かに「なぜそれをお前が知ってる」と思うような人はいたかもしれないな、と説得力が生まれたということがあった。また、物事が自分の思う方向になるように動かす、というと強引だけどみんながうまくいくように影でセッティングする、という人は世の中にはいないわけではないわけで、言われてみると思ったより納得できる話かもしれないという気がしてきた。
もう一つは、ジャンププラスの編集長(「忘却バッテリー」で登場する中路さん:界隈ではセカン路の方が人口に膾炙しているが、これは「忘却バッテリー」参照)の授賞式での発言で、12歳の娘が読むかと思って家に持って帰ったら8歳の息子が読んで「今まで読んだマンガで一番面白い」と言ったという話。この作品は昔の日本ロックがたくさん出てくるのでそういう意味で年齢層の高い人にも人気があるのだが、8歳の子にも面白いというのはすごいことだなと思うわけで、それはおそらく、「読んでいて理解できる」からなのだと思う。
抽象的な場面とか絵だけで説明しようとする場面がほとんどなく、基本的に言葉で物語が展開していて、要所要所で力強い印象的な絵がドーンと来る。説明に過不足がなく、子どもでもほとんど読み誤らないだろう。典型的なのは主人公「はとっち」の演奏(歌唱)の場面で、そこでは鳩野自身や聞く人の心情(回想)が巧みに描写され、それらの「鳩野自身や聞く人に起こった心の変化」が鳩野の歌によって引き起こされるというある種の奇跡が生まれているわけで、彼女の魅力、彼女の歌唱の魅力が自然かつ圧倒的に表現されている。子供が読んでも「歌の力」というものをまざまざと感じるだろうと思う。
他にもいろいろ描きたいことがあるが、とりあえずこれくらいにしておこうと思う。
クワハリ先生、出内先生、そして応援している読者の方々にも、おめでとうございますと言いたいし、ありがとうございますと言いたいです。
おめでとうございます!そしてありがとうございました。