「ウクライナ戦争は代理戦争」説は破綻しつつある/一日中家にいた/時間が止まった場所の楽しさと気楽さ/安住の地を得られない人たち
2月25日(火)晴れ
今日は国立大学の前期試験。受験生のみなさんは頑張ってください。
今朝の最低気温はマイナス7.9度、かなり冷え込んだ。昨日は寝たのが1時半で少し夜更かしをしてしまったから起きたのも7時前になってしまい、バタバタと出かけてセブンでジャンプを買おうとすると、アフタヌーンもあって、そうか、今日は25日かと思う。2冊買って青のキリマンも買い、自宅に戻る。もっと早い時間だったら少し走るのだが、今朝はあまり余裕がなさそうなので近いところで済ませた。
帰ってきて洗濯物を畳んだりネットを見たり。時間が過ぎるのが早いから朝食を食べてジャンプとアフタヌーンを少しだけ読もうと思って読み始めたのだけど、とりあえずいつも読んでいるものは全部読んでしまった。忙しくていつも読んでないものまで手が回らないのが現状で、せっかく読む作品の幅を広げようと思って雑誌を買っているのにあまり活かせてなくて残念だなと思う。
昨日は夕方東京の自宅を出て実家に戻った。本当は午後早いうちに東京を出てなるべく日のあるうちに自宅に帰りつきたかったのだが、全然思い通りにならず。というかあまり動きたくなくて、一昨日の6時半過ぎに帰宅してから実家に戻るために外に出るまで一度も外に出なかった。ただ東京でやろうと思ってできていなかったことがあり、それも含めて4時くらいには出ないとなあと思っていたのだが、結局出るために動き始めたのが4時になり、始末をして外に出たのは5時過ぎになっていた。
というわけでやってないことがあったのでまず近くの長野県の地元に比べるとかなり安いスタンドに行ったのだが、順番待ちの行列が何台も路上に続いていて、しばらく待ったがこれはダメだと思ってそこを離れた。考えてみたら休みの日の夕方にガソリンを補給しておくというのはふつうの行為だが、何がふつうなのかあまりよくわからなくなっているのだよなと思った。で、モールに車を走らせて屋上駐車場まで上がり、出しやすそうなところに車を止めて店内に入って一階まで降りて地元にはない銀行の通帳を記帳した。せっかくのついでだと思ったのでノジマ電気でBD-REを買い、自販機でエビアンの大きめのサイズのを買って車に戻り、発進した。
混んでなさそうなスタンドを探して183円というのがあったのでいいかと思って入ったのだが、考えてみたら地元でも180円で入れられるのでそこで給油の意味がなかった。でもセルフでなく車を降りずに済んだのでまあいいかということにした。スタンドを出て信号で止まった時にレシートを見たら186円であることがわかり、まあなんというか。ただ結局給油した量を考えると入れようと思ったところとトータルで300円も変わらない。毎回ではちりつもだが一度くらいならいいかという感じだった。東京でも高いところは高い。
ナビで「自宅へ帰る」と入力すると錦糸町ランプ経由の指示が出たのだがよく知らない道を走るのが嫌だったので木場まで行って乗った。基本深川線は空いているので結果的にはそっちの方が早かったと思う。休日の夕方ということもあるのか、そんなに渋滞もなく過ぎたのでよかった。首都高は合流が多いので基本は譲り合いなわけだけど、時々勘違いした車が先へ行こうとする。私が首都高で運転するようになって学んだのは「譲る方が結局は早い」ということなのだけどそのように考えない人もいるなとは時々思う。
夕食は石川PAで八王子ラーメンとチャーシュー丼。どうもラーメンの感じがいつもと違ったが感覚のせいか新人が調理したとかのせいか、よくわからない。多分嗅覚は落ちている。そのあとはかなり順調で、境川PAで少し長めのトイレ休憩をとってファミマで朝のパンを買っただけで、まっすぐ実家に帰った。到着は10時前になった。結局実家帰着が思ったより全然遅くなってしまったために寝たのも遅くなったわけである。
東京の自宅にいると好きなレコードをすぐかけられるし、また本棚も「昔好きだった本やマンガ」が並んでいて、まあやはりこういうのは落ち着くよなと思う。「ハードロックカフェ」に行った時、1980年台の香りにめちゃくちゃ和んだことを思い出したが、若い時から時間が動いていない、止まっている感じというのはある種気楽なものがあるのだよなと思う。
新しいものももちろんそれなりに買っていて、ディヌ・リパッティのショパンのアルバム(レコード)などはつい最近買ったと思う。もちろん彼は私が生まれる前に若くして死んでいる人だから新しいものではないのだが。私のステレオは1980年に買ってもらったSONYのフルシステム(もちろん一般用)だから、プリメインアンプ・ターンテーブル・チューナー・カセットデッキが1メートル20センチくらいのケースに入っていてウーハーとツイーターの腰の高さくらいのスピーカーが二つあったのだが、コーンが破れてしまったので粗大ゴミに出したら回収される前に誰かに持っていかれてしまい、あれはそういうものだったかと後で後悔した。
ただ、まだCDプレイヤーすらなくて、最近になってからノジマ電気とかで単独のCDプレイヤーを探したのだがなくてBDプレイヤー(画面なし)を流用して使っている。カセットデッキは壊れているし、まあいろいろあれで、これも時間があって取り組む気になればもっと整備するのだが、そういえばもう45年も使っているのだなと考えて逆にしみじみした。
実家の方では作業場を一つにはそういう雰囲気で整備しようと思っているのだけど、書類と新刊作品で溢れかえっていてうまく整理ができていない。片付けようはもっとあるはずだ、と考えながら後回しにしていたら使用頻度が著しく低下してしまい、週に一度行くかいかないかくらいな感じになってしまっている。まあ色々な理由はあるのだけど、なんとかいろいろ言わずに使えるようにしていけるといいのだけどなとは思う。
大田区のおぎの議員の奥様が燃やされているそうで、ネットを見に行ったがなるほどという感じ。昔は割と話のわかるような発言をしていたアカウントがせっせと後ろ足で砂を彼らにかけている発言を読んでいるとこういう人って本当に多いなと思う。Twitterで話題になったったことにいっちょかみし、知名度でインプレを稼ぎ、有利だと思った方に立場で相手を攻撃して、旗色が悪くなったら消えている。おそらく稼いだインプレでそれなりの収入にはなっているだろうと思われるので、それで何も損にはなってない。商業行為としての誹謗中傷である。
最終的に何をしたいのかはよくわからないが、多分そういうものがないんだろうなとは思う。そういう人に「安住の地」はないだろうなと思った。「彷徨えるネットイナゴ人たち」である。また、「次の世は虫にも鳥にもわれはなりなむ」というのもこういうことなのかもしれないなと。ということを考えていたら輪廻転生というものを少し理解した気がした。ああいう人は鳥や虫になるための因縁を積んでいるのである。私はあまりなりたくないが、人には逃れられないものもあるのだろうなあと思ったのだった。
ウクライナ戦争についてだが、日本には多分「これはアメリカとロシアの代理戦争だ」と思っていた人たちが一定数いるのではないかと思う。だからトランプが直接プーチン交渉に乗り出したら戦争は終わるのでは、思っている人がそれなりにいるということになる。ゼレンスキーがトランプのいうことを聞かず、ヨーロッパもゼレンスキーを支持し続けているのを見て、「代理戦争だ」と言っていた人たちは現状をどう考えているんだろうか。
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