国際政治学者とリベラリズム/昭和の戦争についての意見表明
4月14日(金)晴れ
もう春も後半になり、3週間後には立夏になる訳だが、まだ寒い日は寒い。大陸からは黄砂が、山からは杉花粉が飛んできてくしゃみや鼻水が出たりする。今が新しい展開に向けての地ならしをしたり、基盤を固める時期という感じがする。仕事の面でも思想・執筆の面でも生活・人生の面でもしっかりやらないとと思う。
神道についての基本文献を読み終えて保守思想というものをどう深めていくかということを考えているのだけど、昭和の戦争に関する話をTwitterで読んでいて、今現実にウクライナで行われている戦争に関連して、思想的にも重要な時期ではないかと改めて思った。
日本人は戦争について考える機会があまりない。日本は戦争をやらないことになっているし、国内も戦場にはなっていない。しかしいろいろな意味でグローバル化が進んでいる現在、戦争についての感覚的・理論的な理解みたいなものが必要だと思うのだけど、「戦争は良くない」という倫理的な部分だけが突出して喧伝されている。ただそれもまた、現実感がないから上滑りするだけになり、平和運動のカルト化みたいなことが起こっている訳だけど。
これは何度か書いているしTwitterにも書いているけれども、現在活躍している国際政治学者の人たちは、日本国内の空想的平和主義者=心情ロシア支持みたいな人たちとバトルをしている感じがあるから保守派の人たちはなんとなく彼らの言説を鵜呑みにしているようなところがある。さまざまなこの戦争についてのものの見方は勉強になる部分が多いが、ロシアのウクライナに対する対し方は昭和の戦争における日本の中国に対する戦い方と似ている点が結構多くて、私自身もその辺りは省察して戦争に対する考え方が変わったところもある。
しかし、意識しなければいけないことは現在活躍している国際政治学者の人たちは「欧米主導の国際法的国際秩序」を国際社会と見、その観点に立っている人たちなので、過去の日本の戦争に対しては否定的な見方をする、つまり「リベラル」の人たちだということだ。
ウクライナでの戦争勃発以来、彼らはマスコミに引っ張りだこで、親ロシア派の外交官や学者と議論をしたりしている中で優勢になってきてはいるけれども、彼らのTwitterでの言説を読んでいると日本の過去の戦争に対する強い否定的な意見が述べられていたり、またリベラルおよびフェミニズム的な意見なども強く表明されていたりするので、その辺りには注意していかなければいけないし、それらの意見に歯止めになるようなことは言っていかないと、リベラル派の歴史理解ばかりが幅を利かすようになる危険性はある。だから保守派の人々も遠慮せずに思うところあるならどんどん発信すべきだと思う。
人間の思想形成というのはリアルタイムで進んでいる。特に、現在のようなウクライナ戦争という大規模な戦争が現在進行中の「時局が重大」な、「非常時」というのはそれに関心が持つ人が増え、発信されるさまざまな情報も熱心に読み、それらを吸収して思想形成していく、特に若い人が多いということは注意しなければいけないわけだ。
日本の昭和の外交官たちは明治初期から中期の生まれな訳だけど、彼らにとって外交の道を選択させた一つの大きなきっかけは日清戦争の後の下関条約の取り決めに対する「三国干渉」だった。彼らは戦勝ムードに一気に冷や水を浴びせたこの出来事に、「日本が2度と列強の圧力に負けないように」外交を志したわけだ。その当時の多くの新聞の論説が、彼らの思想形成に大きな役割を果たしたことは間違いない。それはどんな時代でもそうだが、「世の大勢の影響力」というのは誰にも無視できないものだ。
だから、時局が重大だからと遠慮していたら声の大きい人たちの影響力に負けてしまう。逆に言えばその思想自体はどうかと思う反コロナ・反ワクチンの人たちとかは、こちらが驚くぐらい徹底抗戦して、今でも地歩を保っている。正しくても正しくなくても、思想というのはそういう部分がある。
Twitterで出てきたクリストファー・ソーンという人の著書は、どこかで見た覚えもなくはないのだが、その内容についてはあまりちゃんと理解していない、というかあまり関心が持てないでいたのだが、現今の状況においてはかなり重要な気もしてきたので、読んでみようと思い、「米英にとっての太平洋戦争」上下と「太平洋戦争における人種問題」をマケプレでポチってみた。
時間がないので今日のエントリはここで終わるけれども、この続きは時間がある時にまた。