急進主義(ラジカリズム)の問題点
社民党幹部で車椅子使用の方の行動と論理、その支持者のTwitter上での発言等についてのやり取りを読み、感じたことは幾つかあるのだが、要は現実に対応が進んでいるいわゆるバリアフリー化についてその進捗の遅さを糾弾する急進主義(ラジカリズム)的主張に対する疑問や批判が集まっているということなのだと思う。実際に無人駅で対応が難しい状況に対しJR側は現実的な対応を提案したがそれを拒否し、結局主張を通したことをブログに書いていて、それに対して賛否両論の意見が寄せられているという状況だが、批判的な意見の方が多いように思われた。
「車椅子を使う身体障害者でも健常者と同様に誰憚ることなく思いつきで勝手に行動でき、感謝や謝罪などのコミュニケーションを強要されない自由が保障されるべきである」というのがその主張の内容だと思うが、現実問題として施設のバリアフリー化や駅員等の現場労働者の業務に支障が出たり労働条件が悪化しかねない対応を要求することになるわけで、そこに対する批判が強いように思う。
こうした主張は「身体障害者の行動の自由という「正義」は「漸進的に」ではなく「直ちに」実現されるべきである」という主張に基づくと思われ、つまりは「急進主義(ラジカリズム)」というスタンスの持つ問題点が明確に現れていると言って良いかと思う。
急進主義の問題点は幾つか上げられるが、このケースに即して考えると、まず第一に現実を無視しているということだろう。バリアフリー化は乗降客の多い駅や実現が容易な駅から順次進められており、優先順位があまり高くない駅が後回しになるのは物理的・社会的にみても妥当だと思われるが、そこを無視して正義を主張することで政治的争点を作り出そうとしていること。これは立場は違うが小学校の高学年担任の教師にいきなり英語を教えることを義務化する文部科学省と同じ種類の要求であり、こうした現実を無視した急進主義が横行するのは党派の左右・官民を問わないように思われる。
第2に、人の意見を聞かないという点がある。こうした対応について社民党には批判が集まっているようだが、それに実際に対応しようとした、批判を聞く姿勢、対応する姿勢をTwitterで示した支部に対し、本部の指導によるものか、「話し合い」によりそうしたツイートを削除するという対応がとられた。急進的に物事を進めようとするスタンスは、例えば政府などでも意見を聞こうとするより「丁寧に説明していく」というスタンスを取る。つまり主張はするが意見は聞かないということで、こうしたところも政府の対応と相似的であるが、「丁寧に説明する」とさえ言わないのは、より「意見を聞かない」という姿勢をより明確に示したものと言えるのだろう。
第3に一般の社会規範を否定するという問題がある。障害者に限らず、一般社会では何かをやってもらうときには連絡・相談ないし交渉をしてそれを依頼し、迷惑をかけたと感じたら謝罪し、ありがたいと感じたら感謝するということは社会規範としてあるわけだが、「障害者にだけこうしたことを要求するのはおかしい。それは障害者が自由に行動することの無言の圧力になり、実質的に行動の自由を制限する」と主張し、こうした社会規範そのものを否定しようとする。こうした困難は現実に発達障害などのコミュニケーション弱者が様々な場面で常に感じていることだと思われるが、そうした射程を持っているようには感じられないし、コミュニケーションの円滑性をもって暮らしやすさを感じさせるのが社会規範というものだから、それを否定することが暮らしやすさを否定することにつながると考える人たちを説得はできないように思う。
第4の問題はそれに関連するが、「感謝したかったらしても良いのでは」という意見を「障害者に対する偏見であり、優生思想だ」と主張するような強弁ないしこじつけをしがちだということである。これは論争相手を批判するための戦術であるからどこまでそうした強弁が許容されるべきかを一般化することは難しいが、こじつけであると多くの人が感じるような発言は2021年現在においてはあまり有効ではないと思うし、意見の異なるものにとってはそうした論理性に欠ける攻撃は不愉快に感じるだけであり、問題解決にはつながらないように思える。
第5の問題は鉄道員・駅員などの末端労働者を困らせることを問題視しないことである。これは急進的な主張をする側が現場労働者そのものを「権力の手先」であると認定しているからと思われるが、本来労働者の政党であったはずの社民党の姿勢としてはあまり妥当であるとは思えない。駅員は正常な列車運行や乗客の便宜を図る対応が通常業務としてあるわけで、そのためにはその妨げとなる撮り鉄の危険区域立ち入りを阻止・排除したり、無賃乗車者を取り押さえたりなどの権力的業務も行なっているわけだからそれを持って権力行使者とみなすことも不可能ではないが、業務としてそれを行なっているものに通常業務の範囲を超えることを無条件に押し付けることが妥当であるとは考えにくい。
以上述べたような点について、自らの正義の実現のためにはこうした問題点を考慮に入れないという急進主義的な姿勢には問題があるわけだが、そうしたことが支持されない原因になっていると思われる。
急進主義が比較的支持される時代もあったのでこうした戦術を未だに取ろうとするグループもあるのだなとは思うが、社会の中で障害者も健常者もより暖かな雰囲気の中で共生していくためには、急進主義的な姿勢だけではそれは実現しないようには思われる。
もう少し言うと、急進主義が一定の力を持ち得るのは、国民の側がそれを要求する場合もあるということは銘記しておかなければいけない。そこに権力者の思惑や運動家の戦術が加わって、急進的に物事を動かすことを是とする雰囲気が醸成される。だから国民の側は「正義」と思われるような主張をこそ「冷静に吟味」するべきであって、特にその主張を急進的に実現しようとする動きには待ったをかけることが妥当な場合もかなり多いということは、承知しておいた方がいいように思われる。
以上です。
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