「ふつうの軽音部」:「はーとぶれいく」の人間関係と役割分担について語ってみる/「しまった!〇〇をやり忘れた!」→「既にやっていました」ということがよくあること
1月11日(土)晴れ
朝5時20分に気温を見たらマイナス6.5度、今までの最低気温はマイナス7.1度で、おそらくはこの冬いちばん寒いのではないかと思う。先ほど入浴して洗濯機をかけたがちゃんと回っていたのでそんなに冷えているとは思わなかったが、もう少し遅くなってから動かしたら水栓が凍結して動かなくなっていたかもしれない。いよいよ一年でいちばん寒い季節になってきたなという感じだ。
今朝は割合よく寝たのかそんなに調子は悪くないのだが、昨日は調子が1日グズグスしていた感じで、午前中母を病院に連れて行った時も母の点滴を待っている間に寝てしまい、看護婦さんに耳元で呼びかけられてハッとする、というような感じだった。
今年も年賀状は100数十枚書いたのだが、母が来た年賀状を見たいというので持って行って施設の自室で読んでもらうことにした。しかし、「私は年賀状を一枚も書いていない」と言い出し、いやそんなことはない、お母さんが一言書きたいという人を選んでもらってそれを渡して書いてもらったよ、と言ったのだが、夜再び電話してきて「私は年賀状を書いていない」と言って再度説得することになった。写真でも撮っておくか、宛先不明で返ってきた人の年賀状を見せてほら書いているでしょ、といえばいいのか、まあ昨日は対策を思いつかなかったのだが、人が歳をとるというのはそういうものだなと思った。忘却とは忘れ去ることなり。
「しまった!〇〇をやり忘れている!」というのは私もよくあるのでまあ遺伝なのかもしれないが、実際のところ本当にやり忘れている場合もあるし、実際にはやったのに忘れている場合もある。後者は実際によくあるし、忘れたことさえ思い出さなくて関係機関から通知が来てしまったやってなかった、みたいなこともあるのでまあ本当に人のことは言えないのではあるが。
実際スケジュール管理とタスク管理は誰かにやってほしいところはあるのだが、まあそういう収入に結びつかない仕事をする人を雇う余裕はないので、なんとか頑張ってやっている。そういう事務的なものはやった方が頭の体操になるのか、そういうものから解放された方がしっかり仕事ができるのか、もやってみなければわからないところはあるのだけど。
「ふつうの軽音部」のことをよく考えるのだが、今朝は「はーとぶれいく」の中の関係とか役割について考えていた。ボケとツッコミ、という構造でいうと、天然性の高い明るキャラで雰囲気をリードする桃と、何を考えているのかわからない企みで鳩野信仰を世に広めようとする厘がボケだが厘に対するツッコミは主に桃がやっているし、桃に対するツッコミは彩目がやることが多い。
鳩野はと言えば、最初は自分は行動しないのに人は批評するオタク体質のツッコミ役だと自分を思っていたが、軽音部というまずは自分が演奏しなければ何もない活動を始めて、自分があまりにも力不足であることを痛感して、特に最初のライブでボーカルとして失敗してからは公園で弾き語り武者修行をするという「高校の軽音部でちゃんと演奏する」という野望の小ささに比べたらかなり思い切った行動に出たところから明確な主人公気質になっていき、ボケとツッコミというレベルとはまた違う存在になっていくのが面白いんだなと思う。
関西の人の描いた漫画らしくボケとツッコミは攻守交代することも多く、彩目が鳩野にマジ顔で「練習せい。いつかは上手くなる」と言った時には桃に「パート練習サボったくせにバリ偉そうやん」と突っ込まれていて、こういうのがいいんだよ、と思った。
鳩野にしても歌っている時は本当にかっこいいのだがギターはまだ下手だし、バンド名を皆で考えているときなどは彩目が出した案をオタク的な姿勢で辛辣に批評するなどオタク的な部分はまだ残っていて、全然完全な主人公じゃないところがいい。
四人が四人ともとても面白いし魅力的なのだが、鳩野の変化は物語の展開そのものなので、キャラの位置付けや性質が最初からいちばん大きく変わっているのは彩目だろう。プロトコルにいて鷹見と付き合ってるときの彩目はギターは上手いのだが人の批判ばかりして自分を高く思おうとするある種の嫌な女の典型みたいなところがあったのだが、鷹見に振られてもう軽音部も止めようとしていたときに桃や厘に誘われ、鳩野の弾き語りを聞いて「みんなにはウケへんかもしれんけど、カッコいいわこいつ」と思った時から変わり始めて、「バンドの新参者」という意識から、ある意味一歩引いた姿勢ではーとぶれいくに関わるようになり、その引いた姿勢が逆に客観的にバンドを、特に鳩野の演奏技術について観察する姿勢になって、ステージでは「ナメた奴らにはカマしたらなあかんやろ!なあ鳩野!」というめちゃくちゃ熱い姿勢を見せる。
鷹見も返って今の彩目の方に好感を持っている感じがある(キャラ変わったのはそっちとちゃう?というなど)のが面白いのだが、この辺りは物語の今後の展開に関わることなので楽しみにしたいと思う。
もう一つ、構造的な役割を考えてみると、音楽面では割合なあなあでやっているところがあった鳩野や桃たちに対して、彩目がビシッということによって引き締まり、より向上させるという役割を担うようになっていて、まあ言えばディレクターのような役割を彩目が担っているのだなと思う。鳩野にギターの演奏について「練習せい」と言ったのもその視点からであることは明らかだし、周りも冷やかしはするもののその彩目の姿勢については尊敬しているところはあるように思われる。
一方でプロデューサー的な役割を果たしているのは厘であって、彼女はあまりに策略的であるからそちらに目が行きがちだが、「鳩野神をどうプロデュースするか」に命をかけているようなところがあり、周りに様々なアンテナを張って情報を集め、より目的のためになる行動を躊躇なく選択する。
しかしこのバンドの主人公はやはり圧倒的に鳩野であって、厘ももともと一人でandymoriを熱唱している鳩野の歌を聞いたことで神と崇めるようになったのだが、桃もやはりサウンドスリープ解散後に厘に強引に鳩野が歌うハンプバックを聞かされて一緒にやりたいと思うようになり、彩目も鷹見に振られた時に鳩野に弾き語りを聞いてくれと言われて聞いた歌に圧倒され、カッコいいわこいつ、と思って加入したので、明らかに鳩野のバンドであるわけである。
厘はいつも鳩野の「神」を引き出すためにはどうしたらいいかと考えて「策略的に」動いているわけだが、鳩野はそれより一歩上回る対応を「自然に」して、さらに厘の「信仰心」を高める、という構造も面白い。
桃は先に述べたように明らかに陽キャ的な人との隔たりのなさでみんなを引っ張っていくリーダー的な気質があり、これは前のバンド・サウンドスリープの時は大道の優しさや乃木の天然との対比の中では三姉妹の末っ子的な感じの位置付けになってしまっていたので、その明るいリーダー的な才能が引き出されるようになったというのも面白いなと思う。
というふうに考えてみると、「はーとぶれいく」には鳩野=主人公、桃=リーダー、厘=プロデューサー、彩目=ディレクター(あるいは音楽監督)というはっきりした構造的役割分担があって、この稀有な感じが強い魅力を生んでいるのだなと思うし、これを実現した厘の手腕と鳩野の歌の魅力というものに対する読者の信頼感がいや増しに高まるわけだなあと思う。
というわけで「ふつうの軽音部」の人間関係と役割分担の構造的魅力について語ってみたわけだが、今日の深夜0時にまた新しい話が読める。今から楽しみである。