アニメ「進撃の巨人 完結編後半」を見た:2010年代最大の作品の最終完成形態/「神の罪を人が共に背負うということ」

11月8日(水)晴れ

今日は立冬。最低気温は6度強で、今年一番の冷え込みということはない。すでに10月中に朝、フロントガラスが凍結したこともあったから、昨日ほどではないけれども暖かい日が続いているという感じはある。それでも朝ストーブはつけているので、東京とは違うのは確かである。

土曜日に少し大きな行事をやって日月と帰京していたので昨日はその後片付けなどもあり、いろいろとそういう系統の仕事があった。日常に戻すにはまた同じことをやればいいと言えばいいけれども、この機会にごたごたしたものを少し片付けたいという気持ちもあってぼちぼちやろうかとも思っている。コロナの時期には新しい洋服をほとんど買わなかったのでよそ行き系のものはだいぶすでに傷んでしまっていて新しいのも欲しいのだが、そうした店も様変わりしていてまた自分の欲しいものがありそうな店を開拓していかないといけない感じにはなってるなと思う。

アニメ「進撃の巨人 完結編後半」を録画はしてあったのだが、昨日ようやく見ることができた。この作品を読み始めたのは2011年1月、単行本が3巻まで出ていた時点で、そこから月刊連載をずっと読み続けてきたのだが、読み始めて間も無く東日本大震災が起こり、この災厄はまるでこの作品に語られた人間が抗い難い「巨人」のように思え、ある意味震災を予言した作品のようにも思えたものだった。アニメが始まったのが2013年の春夏の2クールで、ここで人気に火がついたのはよく覚えている。4月7日の第1話はいろいろ迷って見なかったのだが後で後悔して配信(といってもネトフリなどが現れる以前なのでニコニコ動画とかだったと思うが)や再放送で見直して、この第1期は結局DVD(途中からBD)も全部買った。

今Wikipediaで放送回を見直していたが、第1期は女型の巨人が封印され、壁の巨人が現れるところまで、第2期はライナーたちが正体を表しエレンとヒストリアを連れ去ろうとするがエレンの「座標」が発動して撃退するまで、第3期は海に到達するまでなのだが、私はエルヴィンとアルミンのどちらを蘇生させるか選択する55話「白夜」の回がどうしても最後まで見られず、そこからはとびとびにしか見られなくなってしまったので、まとめて見るのはかなり久しぶりである。これは2019年6月だからコロナ前だ。

当時はすでに原作は28巻が出ていて、壁の中が内乱状態になっていた時期で、まあ原作もアニメも地獄みたいな世界だったが、原作単行本の最終巻が2021年6月だからアニメでは4期=ファイナルシーズンのパート1まで放送されていた時期ということになる。

原作を連載で読み切ったのが4月9日、34巻最終巻には今読むとミカサと始祖ユミルとの「会話」が追加されたことが記されていて、エレンのような鳥がミカサのマフラーを巻いた場面で連載は終わっていたのがその後が少しだけ追加されたが、今回のアニメ版最終回ではほぼ単行本通りでアルミンとエレンの会話の内容が書き換えられていた。

この場面は全体にかなり長くなっていたけれども、原作ではアルミンは「ありがとう。僕達のために…殺戮者になってくれて…君の最悪の過ちは無駄にしないと誓う」とあくまでエレンの行為として「人類の8割虐殺」という展開を受け入れ、それを引き受けるという話になっていて、ここはすごく議論を呼んで原作者の諫山さんも反省の弁を述べたりしていたのだけど、アニメではエレンが自分がこうしてしまったのは、「自分がバカだったから、どこにでもいるバカが力を持ってしまったからだ」という。それに対しアルミンはエレンに壁の外の世界を教えたのは自分だ、だから「これは僕達がやったことだ。だから、これからはずっと一緒だね」と言い、「これから?どこで?」と戸惑うエレンに、アルミンは、「あればだけど、地獄で。8割の人類を殺した罪を受けて苦しむんだ……ふたりで」と答え、抱き合う。つまり、アルミンは「エレンの犯した罪をともに背負う」ことを宣言したわけで、そこで世界が大きく広がるのが感じられた。

この辺りの原作の連載でも単行本でも不完全燃焼を感じさせた部分がついに昇華された感じがあり、この「完結編」の「後半」という回りくどいラストがなぜこうなったのか、についてここまで至るのに相当諫山さんもスタッフも苦労しただろうなと思わされたし、これだけ引っ張った意味があったと思った。

しかしエレンと始祖ユミルの想いがこのラストをもたらした、ということで言えば要はこの展開はいわば「神の犯した罪」であり、それを共に背負うとアルミンが宣言するのは、「神の罪を人が神の共犯者として共に背負う」という壮大な話でもある。パレスチナとイスラエル、ハマスとネタニヤフの殺し合いを見ていると、神は大きな過ちを犯しているのではないかという気持ちになるところがあるが、このラストはそれを超えて、人はなぜこのような過ちを犯すのかという答えとして、神の罪を人が背負っているからだ、というさらに大きな地平に到達したのではないかと考えさせられた。

そういう意味では、東日本大震災に始まったこの2010年代最大の作品は、それを少し超えた2022−3年のウクライナとロシアの、パレスチナとイスラエルの神々の戦いの一つの解釈にさえなっているように思う。

また昨夜は最後の場面のアフレコを収録した「100カメ」が放送され、これはリアルタイムで見ていて、終わった後もしばらくは寝付けず、10年間の思いというのはこういうものかと受け止めるのにしばらく時間が必要だった。今朝も寝不足である。

この作品は当初思っていたよりも、はるかに巨大な作品になった。最後まで足掻いてこの作品を完成させた、原作の諫山創さんをはじめ関わった多くのスタッフ・キャストの人々に対して深い感謝を捧げたい。


「教養」ということについて書きたいことがあったのだが、また稿を改めて書こうと思う。

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kous37
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