岡義武「山県有朋」を読んでいる
9月29日(木)曇り
暑かったり寒かったり、国葬があったり住民投票もどきがあったり、読んでいるマンガの方もいろいろ不穏な動きがあったり、自分の身辺もいろいろ心が乱れるようなことがあったりして、なかなか自分という人間が出来が悪いなと思うのだが、この歳になっての出来の悪さはほとんどが自分自身の問題なので、やるべきことをやりながらことがちゃんと動いていくように心をしっかり持ってやっていかないといけないなと思ったり。
昨夜は11時ごろ寝て、今朝は4時に目が覚めたので5時間はしっかり寝たから割と調子はいいと思っていたのだけど、最近体のあちこちが、昔なんとなく悪くして体のあちこちが思い出したように不調を出してきて、まあ恐らくは季節の変わり目のせいだと思うのだけど、メンタルにもいろいろ影響して困る。
細々したことより大事にしたいこともあるのだが、一つ一つ片付けていくことで前に進めるというところももちろんある。細々したことはちゃんと片付けておかないと、結局足に引っかかって転んだりするので、片付けるべきものは片付けておこうと思う。
安倍元総理の国葬ですが前総理が言及した岡義武「山県有朋」(岩波文庫)を借りてきて読んでいたのだが、幕末期、奇兵隊の中心として活躍していた頃の山県が、皆が河豚の鍋で酒を飲んでいるのに自分だけは鯛の鍋で飲んでいた、という話を読んで、そういう慎重さは山県らしいなと思った。彼の慎重さとか保守的な性向というのは基本的に持って生まれた気質のようなものだったと思うのだけど、そのためあってか明治の元勲が明治後期から大正にかけて次々に亡くなっていくのに松方正義を除いて最後まで生き残り、逆に言えば友人・同志たちを見送ることになった。
菅前総理は山県の伊藤が亡くなった時に詠んだ歌について言及していたが、いろいろなことを考えると山県は幸せだったのかなと思う。あの大きな椿山荘を別宅として最後まで過ごし、功成り名遂げて政界に大きな勢力を握っていたけれども、最後には長年政敵でありしかし政党政治の世となったことについに同意した後はその指導者として期待していた原敬にまで先立たれて、山県はどういう思いにとらえられただろうかと思う。
どうも私の中で山縣有朋というのは「淋しい人」なのだが、自分のできる精一杯正しいと思うことをしたのだろうなとは思う。我々もまた、自分が思う精一杯正しいことをやることが限界なのだろうとは思うのだが。