二二六/「薬屋のひとりごと」と「天幕のジャードゥーガル」と「ハムレット」/「ブルーピリオド」生き急いだ天才/ウクライナの「真の」独立戦争/「安倍晋三回顧録」とスピーチライター

2月26日(日)晴れ

今日は2月26日。1936年の二・二六事件から87年。この日は雪が降っていた。東京で大きな事件が起きる時、何故か雪が記憶について回ることがある。安政7年(1860年、この事件の15日後に万延と改元)3月3日(新暦3月24日)に起こった桜田門外ノ変も雪が事件の大きなファクターになった。今日は雪は降らなそうだけど、弱い西高東低の気圧配置のせいか、当地の現在までの最低気温はマイナス6.2度。季節的にはすでに立春も雨水も過ぎ、各地で梅も咲いているが、今日は寒気の影響を受けるとのこと。暖かくして過ごす必要がありそうだ。

昨日は朝月刊アフタヌーンを買ったが、午前中に書店に出かけ、ビッグガンガンと「薬屋のひとりごと」11巻(スクエニ)と「Landreaallランドリオール」40巻特装版(一迅社)を買ってついでにお昼など買ってきた。25日は雑誌がいくつも出る日でまた単行本も出る日なのだが、今月は土曜日なのでどうかと思ったが大手ではないせいか両方土曜日に出てきた。感想などいくつか。


「薬屋のひとりごと」は日向夏氏のラノベが原作で何故か小学館の「サンデーGX」でもコミカライズが連載されているのだが、私は先行したビッグガンガン連載の方でずっと読んでいる。アニメ化もされるそうだが、どちらの絵や構成が採用されるのだろうか。それにしても実はどれもかなり売れているということをあまり認識していなかった。

11巻に少女しか愛せない先帝が誰にも知られない趣味としてあった絵を描くことに、雄黄という岩石から作られた塗料を使っていて、これは砒素の琉化合物As2S3なのだが、この物質には物を腐りにくくさせる働きがあるので、先帝の遺体が朽ちずに残った、というような話になっていた。鮮やかな発色をする顔料に毒素が含まれているというのは時々あることだが、それゆえに現在では用いられてはいないけれども、西欧絵画でもティツィアーノなどが使っているようだ。

という記憶が新しいうちに、「天幕のジャードゥーガル」16話を読んでいたら、オゴタイ・ハーンの第一皇后・ボラクチンが不老不死のために雄黄を服用していたという話(フィクション)が出てきて、これは割とポピュラーな話なのだなと思った。

ちなみにボラクチンは元々チンギス・ハーンの妃の一人だったが、彼の死後三男で大ハーンの位を継いだオゴタイの妃になっている。実母以外の父の妃を自分の妃に迎えるというのは古代中国でもあったが、これをレヴィレート婚というのだということは初めて知った。

しかしこれをWikipediaで調べてみると、死んだ兄の妻を弟などが娶ることを主にいうといい、日本でもこれは「弟直し」などと読んでよくあった例だという。チベットなどでもその話は読んだ覚えがある。考えてみればハムレットの母ガートルードは父の死んだ後叔父のクローディアスの妻になっているわけで、それもまた同じような考え方の一つなのかと思った。

Wikipediaの記述には父の妃を娶るという例は出てこないのだが、おそらく考え方は同じなのでレヴィレート婚ということでいいのかなと思った。この辺はタブーと義務の隣り合わせみたいな話なので、文化人類学的には興味深い事例なのだろうと思う。


あと昨日読んだ作品で印象に残ったのはアフタヌーン4月号の「ブルーピリオド」。八雲の回想に出てくる真田まち子というキャラクターなのだが、この子の生き急いでいる感じが、考えていると涙が出てくる感じがする。高校生の頃からバイトでお金を貯めて自費で個展をやって東京で一人暮らしで作品が売れなくなったら予備校を辞めて、それでも藝大に合格する。

この生き急いでいる感じの人、時々いるのだけど、要は夭逝した天才たちには多いイメージ。早熟の天才でも長生きする人もいるが、おそらくそういう人は生き方のシフトがどこかで変わってギアチェンジしている。自分も中学生の頃くらいはそういう感じの生きるのに急かされる感じがあったのだが、どこかでそういうのとは違う方向に曲がっていった感じがする。

でも、こういうキャラクターを見ると自分も急がなければ、という感覚が戻ってくるので、本質的にそういう性質というのは変わっていないのだなと思う。ここまで生きたのだから急がないでじっくり生きたほうがいいだろうとは思うのだが。


昨夜は少しだけロシアの関連のテレビを見ていて、ロシアが何故外敵に脅威を覚えるのか、それは「天然の要害」がないからだ、という話をしていた。日本やイギリスは島国だから海がある、という感覚はあるわけだが、アメリカも新大陸で近隣に脅かすような大国がないこともあり、地政学的には海洋国家に分類されるらしい。それに比べるとロシアは周囲を守るものがなく、古来から多くの民族が往来し、特にモンゴル帝国の征服で様々な困難を経験した、という話。

途中までしか見てないのだが、人骨にまつわるエピソードが二つ出てきた。一つはロシアの街でモンゴルに征服された13世紀の遺構から、多くの人骨が動物の骨などと一緒に腕などを折られた状態で見つかったという話。丁寧に葬られていないことは確かだろう。こういうのがロシア人にとっての恐怖の根底にあるという話になっていた。もう一つは、ナポレオンの遠征軍がモスクワ占領後、冬将軍の到来と補給路を断たれたことで撤退せざるを得なくなり、リトアニアの街で多くの人骨が発見され、ナポレオンに率いられたフランス兵のものだったと判明したという話。こちらは現在ではちゃんとした墓地になっているようだが、ロシアの防衛が基本的に「広い深い領土を持つことで敵を消耗させること」にあるという説明だったように思う。この1812年の戦争は「祖国戦争」と呼ばれるそうだが、それでナチスとの戦いが「大祖国戦争」と呼ばれるのか、となるほどと思った。

ロシアは自国領で戦うときは一つ一つの戦闘では破れても最終的に敵を追い返すという歴史を繰り返していて、おそらくプーチンにとってはウクライナは「本来のロシアの領土」なので、気持ちとしては防衛戦だと考えているのだろうなと思う。

ウクライナにとっては「祖国防衛の戦い」であり、ロシアにとっては「祖国の領土の回復の戦い」になっているなと思うのだが、私などから見れば「ウクライナの「真の」独立戦争」であるように見える。ソ連崩壊で形式的にはウクライナは別の国になったが、実際にはどちらに強い自覚はなかった。それが2014年の第一次ロシア・ウクライナ戦争でクリミアとドンバスの一部を奪われて、初めてウクライナ国民は覚醒し、ウクライナ国家の真の自立を目指して防衛を強化するようになった。NATO加盟やEU加盟が取り沙汰される中でプーチンは危機感を強め、「(真の)分離独立を許さない」というつもりで、でも彼の主観では「国内反乱勢力の討伐」に過ぎないから「特別軍事作戦」と呼んでいるのだろう。

「同じロシア人」だと思っているならどうしてあのような残虐行為をやったのかという疑問が起こるが、それは「分離独立派」「反体制派」「反乱者」だから容赦する必要はない、というような(心情的な)論理があるのかもしれないと思う。彼にとってはロシアの敵はナチスなので、ユダヤ人のゼレンスキーを「ネオナチ」と呼ぶなど国際基準からは首を捻るようなやり方をしているが、本人はかなり大真面目なんだろうと思う。

プーチンのいうように、ソ連成立時にウクライナだけでなく各民族の居住地域をレーニンが「連邦共和国」として形式上「ロシアと違う国」としたのはある意味歴史のアヤみたいなものだっただろう。その凍結された歴史のアヤがソ連崩壊とともに実体化したのが現在の旧ソ連諸国だと言えなくはない。バルト三国は明らかに独立国家だった時期をもってるのでソ連支配期間を「占領された期間」であるとし第一次世界大戦後の独立からの歴史が本来だとしているわけだが、ウクライナは本来はもう少し緩かっただろう。ウクライナのナショナリズムに火をつけたのは2014年の諸事件なので、プーチン自体がウクライナ・ナショナリズムの生みの親と言っていいのだと思う。

こういう経緯はやはり台湾と重なるところがあるわけで、だから中国は他国と違いロシアの側に強く肩入れするという部分もあるように思う。ウクライナが勝利したら、台湾の独立派も意気が上がるだろうと思うし、それは中国にとっても望ましいことではないだろう。


なかなか自分の今のテーマである「保守」について読めないが、今久しぶりに「安倍晋三回顧録」のページを開いて読んでいたら2015年のアメリカでの上下両院合同会議での演説について触れていた。東日本大震災におけるdarkest nightを救ってくれたのは米軍の「トモダチ作戦」だ、という話でキャロル・キングの曲に関連づけ、演説は成功したという。この演説のスピーチライターは谷口智彦氏だったということだが、Wikipediaで調べていたらあの有名な「Buy my Abenomics」や例の「ウラジーミル、二人の力で、共に駆けて駆けて駆け抜けようではありませんか」も谷口さんが書いているそうで、ちょっと笑ってしまった。頑張ってはいるが、時々勇み足があるというのが安倍さんらしいなと改めて思ったりした。

二二六/「薬屋のひとりごと」と「天幕のジャードゥーガル」/「ブルーピリオド」生き急いだ天才/ウクライナの「真の」独立戦争/「安倍晋三回顧録」とスピーチライター

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kous37
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