冬を感じる/働いていると本は読めないか:スマホを見る時の異常な敷居の低さ/アサド政権の暴虐と今日のパン、反米逆張りの危険性
12月11日(水)晴れ
冬だなと思う。朝夕が寒いのは当然なのだけど、暖房を効かせた部屋の隣、襖一枚開けると急激に寒気が入ってくるのは冬ってこういう感じ、というのを思い出す。朝も夏は南側の障子をすぐに開けるのだが、今は日が入ってくるようになってからか、あるいは気温が0度を超えてから開けるという感じ。今朝の最低気温はマイナス2.1度、このくらいだと今日はマシだなと思うようになっているので、早くも冬にかなり慣れた感じではある。
昨日は午前中、早めにブログを書いてそのあと書きたい本の目次作り。いくつも書きたい本があるということはわかった。まずは形にしないとなんともならないし、まずは書き始めないと作品はできない。少しずつ進めていこうと思う。
月曜日に岡谷に行った時に買ってきた三宅香帆「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」(集英社新書)、時間がある時に読んでみようと思っているのだがなかなか時間ができない。また読書にも体力がいるなと最近よく思う。マンガすらなかなか読めないのだから字の本はもっと大変だ。
働き始めてから本を読めなくなった、というのはこれはわからなくはないのだけど、スマホが出る前は読む気になったら読む本、というのをカバンの中に入れていて、電車の中で少しでも読む、みたいなことはしていたし、休みの日に電車の中で「ゴーマニズム宣言」(マンガだが)を読み始めたら止まらなくなって山手線を2周した、ということもあった。だから、全く読めないということもないのだが、今は隙間時間にスマホを見てしまうのが普通に私もなっているから、なかなか読めないということはあるのだろうなと思った。
まだこの本をちゃんと読んでないから趣旨はわからないのだけど、私が思うのは「スマホの情報は読もうと思った時の敷居が低い」が、本というものは読む時にまず敷居を越える、つまりその本の世界に入るための精神的跳躍ないしは精神的登山みたいなものが必要で、それから読み始めてその本の世界(これはフィクションとそうでないとに関わらない)に入るのに多少手間が必要だ、ということが大きいと思う。スマホで閲覧する情報は基本的には断片的だし、断片的に見せられる形になっているものが多い。
この文章などはまさにそういうものに逆行しているのだが、それでも毎日の内容で完結するようにはなっていて連載にはあまりしていないから、読み返さないと何を言いたいのかがよくわからない、ということ自体は少ないと思う。もちろん内容的に前提知識の提示なしで書くことも多いのでその面でわかりにくいことはあるとは思うのだが、まあそこはググってもらってもそんなに手間はかからないかな、とは思っている。
本を読んでいると、昔はわからないことが出てきてもそのまま読み進めたが、最近ではスマホやパソコンでググって確認することが多いのでその分読むスピードも落ちているし、結局本だけでは読めないからわからないことが出てきてもそのまま調べられるスマホの記事を読んでしまうということもある気がする。だからと言って電子書籍で読むかというとそれは目が疲れる(ことを意識してしまう)ので、紙の本で読まないととなり、いろいろ考えているうちに面倒くさくなって読むのをやめる、みたいな感じになっているところがある。
結局今あるツールやデバイスをどう上手く使いこなすかみたいなことしかないのだろうとは思うけれども、「隙間時間」という現代人の貴重な時間を無限に吸い込むようにできているスマホというものの発明は、ある意味悪魔の発明ではあるよなとは思った。
しかし、昔は確認できないままこういうことかなという解釈で済ませていたものがすぐ確認できるようになったのは大きいことで、ただすぐ確認できるから逆に忘れてしまうということもあり、こういうものとの距離感というのはなかなか難しい。いずれにしてもせっかくこういう時代に生まれたので、そういうものを生かして何か作ってみたいとは思っている。
アサド政権が崩壊し、サイドナヤ刑務所のアウシュヴィッツを超えるような惨状が明らかにされてきているが、左派はいまさらのようにそこに注目して衝撃を受けているけれども、そんなことは前からシリア難民がずっと証言してきたことで、そういうものがあること自体はそんなに不思議なことではなかった。ただ、もちろん想像以上に酷いということはあって、この刑務所を作るのにナチスの旧勢力が協力したという話もあり、そういう意味で言えば「アウシュヴィッツの経験を生かしもっと酷い刑務所を作った」のかもしれないとは思う。「アウシュヴィッツやホロコーストを世界最凶の絶対悪」のように信奉してきた人たちにとってはむしろショックかもしれない。ようやくそこから解放されたシリアにイスラエルが侵攻して火事場泥棒的にゴラン高原から睨みを効かせようとしているのも滑稽にしか見えない感じがしてしまう。
結局反欧米・親ロシアの左派の人々はいろいろなものに目を曇らされてきたということなのだけど、実際のところ今はアサドがどんなに酷かったかよりもこれからのシリアの国づくりをどう安定させていくかが急務で、囚われた人たちの解放が終わったらあとはゆっくり責任追求をしていけばいいと思う。ある程度までは旧政権の機構が必要だろう。
敗戦後の日本では実務家たちは占領行政と戦後の立て直しに協力しつつ、途中で戦犯指定や公職追放が行われていったわけだが、もちろんそのこと自体は勝者の横暴であり、私自身はプラスには考えないけれども、進駐軍の立場としては必要なところまでは協力させないといけないということはあったわけだ。シリアでもすぐに全員追放したり弾劾したりしたら復興が遅くなるから、首相以下旧政権の機構を生かし、実権を握ったHTSと協力しながら、諸外国も協力していくべきだと思う。
シリアへの難民帰還も急ピッチで進んでいるようだし、正義よりもまずは今日のパンが重要だと思う。
一方で、こうしたアサド政権の実態が明らかに、というよりもようやく白日の元に晒されることによって、日本をはじめとする自由主義圏、特に欧米諸国の左派が衝撃を受け、政治的に難しい立場に追い込まれる可能性はあるなと思った。例えばフランスのメランションはアサドを支持していたようで、そういう意味で減点ポイントは大きいだろう。アサド政権崩壊ショックはむしろ欧米各国の親露派に大きく跳ね返ってきそうだ。ラジカルな左派が退潮するのは良いことだが、反米だからアサド政権を支持する、みたいな逆張りを行う愚を少しでも減らしたほうがいいと思う。
逆にHTSのように静かな統治を志している集団はなるべく早くテロ組織指定を解除してきちんとした国際援助を行なっていくべきで、「テロとの戦い」という枠組みもだんだん無効化していっている現在、より実態に即した判断が必要になってきているようには思う。
以前ウェブで読んだ衝撃的な内容のマンガ作品があったのだが、ちゃんとブックマークしてないのでどこにあるのかわからなくなってしまった。いろいろなデバイスを使うことでそういうものが記録しにくくなっているんだよなとは思う。ちょっとその辺対策を立てないといけないなと思う。
あと気になったことを書いておくと、石破首相が国会答弁で「アメリカの力は落ちてきている」と指摘したこと。この辺、どうも石破さんは評論家的な癖が抜けないなと思った。そういう認識を持つこと自体はいいが、公の場で同盟国を、特にこれから体面を気にするトランプが政権をとるアメリカを貶すような発言をすることの外交的意味をよくわかってない。安倍さんもポカ発言はあったがコントロールの内部であって、石破さんの発言は真面目に取られてしまう可能性はあるのだから、(というか本人が真面目に言ってるのがより問題なのだが)「政治家らしさ」みたいな言質のとられなさみたいなものをもっと持つようにしてもらいたいとは思う。