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がん告知

この記事の続きです

検査手術から約3週間。
年が明けて2023年の1月。
検査結果を聞くために病院へ。

「ほぼ悪性だろうな」と思いながらも緊張する。
午後の予約枠なので、あまり人がいない。
名前が呼ばれてあの診察室のドアを開けたら、違う人生が始まると思うと嫌だった。

「とりのさん、とりのこうさんお入り下さい」
名前呼ばれた。
診察室に母と入ると、初めて見る看護師さんがいる。
明らかに外来の看護師さんと制服が違う。

もーなんか専門的な人いるじゃん。
確定じゃん。
と思いながら、先生に「よろしくお願いします」と挨拶をした。

パソコンの画面をみると。
『大腸癌 Stage Ⅲ』

なんで?
違う人の結果?やばいのでは?

思い出した。国立がん研究センターのホームページに『胃がん、大腸がん、消化器系のがん細胞に似てる』みたいな事書いてあった。

何度もパソコンの結果を見ては下を向いてしまう。
先生の方に顔を向けないといけないのに、パソコンの『大腸癌 Stage Ⅲ』を見てしまう。
尿膜管がんのデータみたいなの登録されて無いのか。
現実を間の当たりして、やっぱり珍しいんだと実感した。

下を向いてる私を見てなのか、先生は母に説明を始めた。
 どんな話をしていたのだろう?
何かの専門だと思われる看護師さんが、神妙な表情で私を見ていた。

A先生が、どのような手術をするか説明を始めた。

  1. 臍の周りにメスを入れ、臍を切り抜く

  2. 臍から膀胱に繋がっている尿膜管と腫瘍を切る

  3. 膀胱からも内視鏡を入れて膀胱内の腫瘍を切る

  4. 切り取った膀胱の腫瘍と尿膜管と臍を膀胱内に入れた袋の中に入れて取り出す

確かこんな感じの説明だったと思う。
内視鏡手術だと説明を受けた。

後日、先生に質問をしたら腹膜の一部も切り取ったらしい。

手術の話を聞いて私は
胎児の時に尿膜管が閉じていたら、癌にならなかったのかな?
お臍から膿やら、尿やら出るような炎症があれば尿膜管遺残で止まっていたんだろうか。
手術から逃げたくて、胎児の時の事まで遡って考えてしまう。
(尿膜管は胎児の時に閉じるらしいです。私は閉じずに産まれたらしい。そこに腫瘍が出来ました)

ぼんやりしてると先生は私のレントゲンと腹部のCTを見て
「転移はなさそうだね。根治を目指して頑張りましょう」
と、私と母に伝えてくれた。
手術は2月初めに決まった。

ふらふらになりながら、先生に
「ありがとうございました。よろしくお願いします」
と挨拶をし、診察室から出てきた。

診察室にいた他の看護師さんと違う制服の看護師さんが私達に声をかけた。
「これからの事を説明しますね」
がん相談の専門の看護師さんだった。

 

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