世界観と時代の空気についての覚え書き
モノ(物質)でなくコト(体験)の“消費”の時代であるからこそ世界観ってやつを考えてみたい。
最近ふいにテレビをみているとストーリーものやヒストリーものが多いことに気がついた。名前の由来、歴史の秘話、家族の物語、会社誕生の物語、商品誕生の背景などなどあげればきりがない。
人々がそういうものを欲して、またそういうものに価値を感じるからこそ、そういう番組が多いのだろうけれど。テレビに限らず、ライフスタイルという言葉が広く浸透しているように今の時代は物に囲まれて欲望を満たすのではなく、自分が欲している世界観や自分が信じている価値観をベースとして物を揃えるような時代である。
だから世界観をもつことや、いかに世界観を打ち出すかが大事とされている。僕はこの世界観ってやつを消費とか経済の文脈だけでなく、もっと巨視的な視点でもって考えてみたいと思う。
世界観が大事にされ、そして共感が必要とされるということ。それは裏を返せば、僕らにすがりつくものがないということを意味し、つねにすがりつくものを探していることも意味する。
ちょっと極端な話をすると、僕はこの世界観を大事にする空気とそんな時代がかつてのナチスや全体主義がはびこった空気感に似ている気もしている。
ていうか、僕自身が世界観をめちゃくちゃ大事にしている人間だからこそ、そして世界観にかかわる仕事をしているからこそ、その辺にも目がいくのですが。
かつて全体主義がはびこった時代というのは「大衆」が誕生した時代でもあった。自分たちが何をしたら幸福になるかはっきり方向性を見出せずにいる人々が溢れたのだった。そんなときに強烈な世界観をもって人々の前に現れたのが「世界観政党」と呼ばれるナチス。彼らは強烈なストーリーをもってして路頭に迷う人々を魅了させ熱狂させ、圧倒的な支持を集めた。その結果、世界(World)がどうなったのかみなさんご周知のとおり。
実はナチスが出てくる前の時代の空気感とか気分とか経済的な状況とか、今と似通っていたんじゃないか。
また、江戸川乱歩や夢野久作の作品を読んでいると1920年代の日本の空気感や気分が今と似通っている点に気づく。歴史は反復するみたいだけど果たしてこれからどう進むのやら。
まあ、そんなことも踏まえて世界観ってやつを考えてみたいところです。もっぱらの関心は人々がどういうストーリーに突き動かされやすいのか、そしてどういうストーリーに感動してしまうのかってとこ。
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