灰色であいまいな天気のなかで朝を過ごす

天気の良い晴れの日は気持ちいいにきまっている。
しかし、雲のかかった曇天だって案外悪くない。
とくに薄雲のかかった晴れとも曇りとも言いきれない、あいまいな天気は。
『トレインスポッティング』のような、ぱっとせずにいつも雲の行く先を気にするような雰囲気は。

あたりの色づき方はなんともあいまいで、気分がすっきりすることはなく、かといって落ちこむこともない。白黒つけてすっきりとした気分を欲しがちで、あいまいさのなかを存分に泳ぐことをどうしても僕らは嫌みがちだ。あいまいな天候と自分のあいまいさを同期させてみる。すると不思議なことに気分はあいまいではなくなっていく。

あいまいな天気でむかえる朝は意外と心地良かったりする。意識はあいまいではっきりとせず、そんな状態で薄雲のかかった灰色な外の世界へ飛び出してみると、夢心地な気分と足どりになる。それが仕事のある朝の出来事であれば、あいまいな気分とゆっくりとした歩調がリズム良く体のなかにたまってきて心がすっきりする。余白が生まれるのを感じる。そこに少しの肌寒さが加われば言うことはない。

何もない朝であれば、そのまま景色の広がるところへ行きたくなる。海岸線めがけてドライブ、もしくはランニング。何も考えずにただ車で、自分の足で走りぬく。眼前を流れゆく景色は、速度とともに変わっていく。そして、その速度でしか見えない光景もある。ほかの車の駆ける音、エンジン音、人々の朝の音、カラスの声、波の轟音。そこにある全ての音が気持ちよく反復する。すべてがあいまいさのなかで融けて混ざっていく。

あいまいさのなかで余白を生みだす。余白のなかで何かを見つける。
何にも意識せずにただただ余白を過ごしていると、いつの間にか手にしているものがある。

浜辺まで走りきったときに、雲を割いて日が差しこんでくるともう最高だ。Coldplay「Yellow」のミュージックビデオのような光景を何度も目にしてきた。ただ、最高だけれど気分が“出来すぎる”こともある。

Travis「Why Does It Always Rain On Me?」やOne Direction「You & I」のビデオのように、分厚い雲が広がっているけれど、雨は絶対に降らないという確信のもてる天気、そしてそんな気分の方がちょうどいい。あいまいさの海をただただ漂って泳いでいける。

時間が経つにつれて余白はだんだん埋まっていく。
それなら、あいまいで何もかもが灰色な時間に存分に浸かっていなければ。

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半田孝輔|ライター・編集
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