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思い出の選手たち~監督編#83関根潤三監督~
「弱くても応援する価値のあるチーム」の理想像、関根潤三監督が率いたヤクルトスワローズは、そんなチームだったように思える。
関根監督時代は3年で、すべてBクラス。
優勝など夢のまた夢であり、神宮での勝ち試合が見られることも珍しかった時代。
現役メジャーリーガーのボブ・ホーナー、ミスターの長男長嶋一茂の入団など話題はあったが、それだけで楽しめるわけがない。
では何があったのかといえば、このチームには希望があった。
その希望を生み出したのは、関根監督だ。
本来、プロのチームは相手と戦い勝利することを目標としている。
しかし、それは力のあるチームの目標であり、足りないチームが目指せば、場当たり的な戦いにしかならない。
関根監督は、チーム内に戦いを持ち込んだ。
その代表格が、“イケトラコンビ”と言われた広沢克己、池山隆寛の両選手だった。
「2人に100三振ずつ」は許すといった関根監督。
広沢、池山がチームの勝利を度外視したプレーをしていたとはいわないが、メインの戦いは自分たちの成績だったはずだ。
全打席本塁打を狙っているかのように、フルスイング。
対戦チームとの戦いではなく、個人成績を争っているのだから、試合展開、順位など関係ない。
ただそれが、負けていても広沢の、池山の打席が終わるまで、スタンドにいようという気持ちにさせた。
本来の一軍の試合では、本末転倒かもしれない。
しかし、一軍の試合にでなければ、選手は育たない。
どれだけ三振を重ねても、関根監督は広沢、池山を外さなかった。
試合に出られるのは、最初こそうれしいだろうが、成績がでなければグラウンドに立つことが恐くなるもの。
ときには、ベンチへ下がりたいことがあっただろう。
ただ関根監督は、それを許さなかった。
関根監督就任1年目こそ池山は127試合だが、あとの2年は全130試合出場。
広沢は3年連続フル出場だ。
強いチームには、必ず軸がある。
それもひとりではなく、複数いるものだ。
コーチとして貢献したカープで、関根監督は衣笠祥雄、山本浩二の両輪を作っている。
スワローズでは、広沢、池山がこれに当たる。
やがてこの2人はチームの軸となり、90年代のスワローズの黄金期を支えることとなる。
関根監督も、負けていいなどと思っているはずはない。
ただ、目先の勝ちよりも、広沢、池山という素材に目をつけ辛抱をした。
この流れは時を経て、小川淳司監督に受け継がれていく。
関根監督時代、準レギュラーとして小川外野手は、100試合前後出場している。
この経験は、監督、編成トップに就いたところで、若い選手を抜擢し、辛抱を重ねて、レギュラーへと作り上げていくことと無縁ではないだろう。
育成の関根監督がチームの軸を作り、野村克也監督は脇役を育て黄金期を作った。
強かった時代ということもあり、野村監督のDNAに注目が集まるのは当然だ。
ただ現状のスワローズに当てはめた場合は、関根監督のスタイルの方が合うのかもしれない。
高津臣吾監督は野村監督時代に入団したが、池山隆寛二軍監督、小川GMには関根監督のDNAも流れている。
負けていいわけはない。
ただそこに希望があれば、ファンは待てる。
強くなる過程をみることができるのは、スワローズのような球団のファンがもてる特権だ。
※2020年4月10日「東京ヤクルトスワローズ観察日記」掲載したものに加筆、訂正したものです。
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プロ野球東京ヤクルトスワローズの試合評を、オリジナルデータやプレーを観察したしたうえで、1年間現地、テレビ観戦を通して個人的な評論を書きま…
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