8年前に書いた、20年前のこと。
2015年にFacebookに書いた、自身の成人式のことと、その先の仕事のこと。一本の道だったらいいけど、フラフラしながらやってきているので、決して今を生きる若い人の指針にはならない話です。
今日(2015.1.12)の「ビフォーアフター」は、昨年に続く、立川談志邸のリノベーション。凄かった。ひとつの建物を家(家屋)を継ぐ「立川志らく邸」と、いわば「談志資料館」となる場所にしてリノベーション。防湿や温度管理とか、建築のことはよくわからないけど、あれは博物館・図書館級の湿度、温度管理がなされる建物に生まれ変わったのだろう。
そしてFacebookには、成人式を迎えた、若い友人の言葉が並ぶ。
おめでとうございます。
20年前の僕の成人式。
先日、取り壊しが発表された中野サンプラザで行われた。
行く気はなかったが、案内状には「ゲスト・立川談志」と書いてあった。
行くしかない。
スーツも着ず、手近なブレザーだけ羽織って、京王バスで中野に向かった。だって、談志の話、聞きたかっただけだもん。この怖い人を生で見るのは1991年3月、当時の日比谷シャンテ・TBSスタジオで「平成名物TV ヨタロー」の最終回を観覧した時以来である。
成人式の途中、うるさい新成人の集団を一喝することはあったが、それでも最後は「好きに生きろ!」の言葉で締めくくられたのだ。うん、行ってよかった。そして、2日後の朝、妹の受験を見送るため、早起きしようと思っていたら、逆に起こされる。「神戸で地震だって!」。
それから7年。2002年の夏。同業の友人の紹介で「立川談志」の冠のつくトーク番組のネタ出しの仕事が舞い込んできた。夜中のファミレスで考え、遊び仲間にも「こんなのどう?」と相談した。数日後、談志邸での打ち合わせを終えたディレクターから電話があった「談志さん、ネタ見て喜んでました!」。本当かどうかわからないけど、嬉しかった。収録当日、築地ブディストホール。挨拶は…できなかった。
2011年11月23日夕方、アシスタント出演していた生放送の特番の最中、番組に寄せられたTwitterをチェックしていたら、立川談志の文字が並んでいた。本当だろうか。番組進行も疎かになりそうだった。翌日の新聞は本当に「談志が死んだ」の見出しだった。
20年経った。好きに生きていると思う。もっと好きに生きようと思う。(2015.1.10)