河野美恵(絵を描く人)

河野美恵(こうの・みえ) 1947年生まれ。別府市鉄輪在住。実家の旅館を手伝いながら、十年に一度ずつ福岡市のふくだ画廊などで個展を開く。「最近では見かけなくなった全身で画面にのめり込んで強烈な個性を生み出した作品群だ」(新聞評)といわれている。kounomie.com

河野美恵(絵を描く人)

河野美恵(こうの・みえ) 1947年生まれ。別府市鉄輪在住。実家の旅館を手伝いながら、十年に一度ずつ福岡市のふくだ画廊などで個展を開く。「最近では見かけなくなった全身で画面にのめり込んで強烈な個性を生み出した作品群だ」(新聞評)といわれている。kounomie.com

最近の記事

河野美恵インタビュー(2)「私が出会った先生たち」

「バッコスの信女 白石さん」 あこがれの早稲田小劇場へ河野 早稲田小劇場の舞台を観たい、生の声を聴きたいと一心に思ったので、とうとう劇団に電話して、稽古を見せてもらえませんかと頼みました。「劇団の主催者に話しておきます」と返事して下さって、後日、何月何日から稽古が始まりますからどうぞ、という連絡をいただいたんです。それが豊川さんという男性の方で、主催者というのが有名な演出家の鈴木忠志先生でした。 ーー東京へ行くのは初めてだったんですか? 河野 いえ、立体裁断の夏期講座へ

    • 河野美恵インタビュー(1)「私が出会った先生たち」

      聞く人 企画編集ハヌマン 三浦キミ(本名三浦祥子) 人間国宝に質問する―小さいときから絵が好きだったのですか? 河野 いえ、嫌いでした。ほんとに嫌い。(笑) ―ふうん。写生が面白くなかったのでしょうか? 河野 いえ、写生とかでなくて学校のお勉強ぜんたいに興味がなかったんです。興味があるのは食べ物とか、遊びでしたから、勉強なんかしないで遊びまわっているだけの子どもだったんです。文字を書き写すとか、何かを覚えるとか、絵を描くとかいうお勉強は少しも面白くなかったんです。 ―あ〜