悔しいに関して
ちょっと時間が経って、いろいろと薄れてきてしまったけれど、「悔しい」感情を得ていてちょっと向き合いたいと思っていたので書くだけ書いてみる。
起きたこと
部署の移動が確定しました。大枠で、「細かいことはある程度得意そうですが、未知の領域の開拓は苦手」的な評価。で、それに見合うような部署移動(移動というか、試用が終わりその後の選択)である。
評価自体はかなり納得感がある。未知の領域をうまうこと切り拓くのは苦手な自覚があった。それでも、移動の話はなぜか悔しい思いが出てきた。
悔しやの所以はどこか
・なんとなく理解し始めた(様子が分かり始めた)ところを去ることの惜しさ。
(大づかみが遅いという話は大いにある)
・自分でもっていたかった能力(新しいことを切り開く的な要素)に思った以上にあこがれがあるか。
・もっとできたんじゃね?という思いがあるのか。
・何か理想像がどこかにあって、それにそぐえなかったことか。
・求められていたこと(ある程度任されていたこと)に至れなことからくるか。
悔しいってどんなんから生じるか
今までの経験からすると、悔しいって単純な結果の問題ではない(結果だけの話だと、ある程度粗があっても何も思わないこともままある)。どちらかというと「期待」とそのズレから生じるようである。
まとめ
2つから考えると、「なんとなくの課題感が見えてきた」けれど、「課題をどうにもできなかった」の2つであるように思う。
あまり、事前の期待感に自覚的でなかったので自覚的になれるようになりたい。
自覚的でないと、気力を込めにくいしうまいことできない。
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