文を書くこと
最近おそらく無意識で行っていたこと。
良い文章を読むと、良い人間になれる。
というようなことを思っている。
良い文章っていうのは、その人の思いとか迷いとかが何のてらいもなく書かれているようなものである。そんな文章を読んで、言葉にされているものを読むと、自分の状況を進展させられるのではないか。と思っている。
何が進展するかというと、そこに具体的な中身はない。ただ、そんなことを繰り返せばよいのではないか。と勝手に思っていた。
ただ、たぶん違った。
たぶん、その良い文章に出会うと良いようになれる要素はあるのだろうが、自分自身で、自分のことを言葉にできないと、自分の進展は存在しない。
自分の進展ができるようになると、多分自走できるようになる。
自走って自立とか独立とかのニュアンスで使っているけれど、依存を否定したいわけではない。うまいこと頼ったり、どこかで依存的であることは別に問題ないようにも思う。
自走するようになることは、自分自身のなかにきちんと価値基準を持つことなのではないか。他人の判断も知りつつ、でもこっちが心地よいんだよね。と言えるようになるのではないか。
この「でも」が相手を批判するようなニュアンスでなく、それもあるけど私はこっちかな。ぐらいの温度で音を出したい。
そのためにも、もうちょっときちんと書くようにしていきたい。
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