やる気のないときの感情とか
なんだかよくわからないが、なんとなく気持ち悪い。おそらく、「やりたいこと」と「やらねばならないこと」「やっておいた方がよいこと」が入り乱れて、大きな壁に感じているのである。
なんとなく、その周辺のことについて考えながら、書いてみる。
今の状況としては、やるべきこと・やりたいことなどを大きな壁に感じている。さらに、自分が本当にやりたいこと(求めていること)に自覚的でないことが起きているように思う。
そのように感じるのは、
・やるべきことを小さな要素に分解できていない。という要素と、ある程度小さくしたところで、それを処理しきれる自信がないということ。
・月曜に向かって「かなり良い状態」を作ろうとおもったのに出来ていないこと。
・やりたいことが、微妙に消化不良というか刺激が足りないというかな状況であること。
あたりであるように思う。
3つ書いた要素はそれぞれに関わってきているかもしれないが、とりあえず1つずつ解決要素を考える。
要素分解・その処理
分解できていないのであれば、とりあえず再度分解を図る。処理できないというのも、時間軸的な流れに載せられていないか、分解しきれていない面が強く感じるので再分解する。
やりたいことの刺激
仕事に生きるから「やっておきたいこと」と自分の個人の素直な関心としてやりたいことを混同し、どっちを優先していいかを迷っているような気がする。
仕事に生きるも、個人の要素も大切なので、どっちも切り落とさないように考える。そのうえで、手にとりたいものを少々時間をかけて感じ取り、そこからやりたいことを満喫する。
自分の「決めごと」としたことが出来ていない場合は、「状況」を受け止め、「感情」もきちんと見つめる。状況を処理しつつ感情要素もきちんと処理できれば最良だが、”なんか気持ち悪い”時にはそれを出来ていないことが多いので、要素分けして考える。
良い状況を作ろうと思ったのにできていない。
これは無意識に「理想」を作っていて、それに届かないことによって捨てレスに感じているようなきがする。(上に書いた決め事の要素と近いかもですが)自分の無意識の理想に自覚的になるようにすると、理想に近づく行動がとりやすくなるような気がする。
所在の分からない不満感は得てして「理想像とのギャップ」によって生じているのかもしれない(今回の私の場合、自分の思うままにやってうまく気分転換してやるぜって思ってたのに、全然気分転換にならなかった。。。と多分無意識下で思っていた。)。
理想の自覚をするためには目標・目的像をどれだけ明確に(正確に)意識できるか(言葉にできるか)は1つの鍵であるように思う。
「例え」とかを使うことになっても、言葉にすることを意識したい。
また、(一人でいるときは)素直に(どれだけ小さくても)やりたいことを叶えるようにしていきたい。
一旦まとめ と そのご
3つのことを書いて、漠然と思ったのは「不安感みたいのを漠然と感じている」のかなぁということである。
その不安感は
①敵が大きい。
②敵は小さくしたものの、処理しきれるかわからない
で構成されているように感じる。
処理しきれるかわからないは「関心を持って臨めるかわからないので、理解度が下がるかもしれない。」的な要素を含んでいる。
関心を持てていないというはある種の負け要素である。これは私がいろんなことに些細でも関心点を見い出して臨んできたことに由来する。
(今回は書きながらイメージしているのは返却期限間際の本を読めていないことである。借りた時点である程度の関心があったはずなのだが、その熱量がなくなっている。。)
そんな中でどう読むかもスキルをみにつけたい。
ある種の「モチベーションの不調」の時にどう対処していくか。である。(モチベーションの不調とか言ってますが、めちゃ有体に言うとやる気が出ないだけです。)
体の不調は休むのがよい。モチベーションの不調も休むのが最善なのかもしれない。。ただ、そうでない方法も一応考えてみたい。
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