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文字を書くこと。

しばしば「文字が汚い」ことを指摘される。
実際、かなり汚い。

最近のメモだとこんな感じである。(メモレベルではあるが、机上で書いている)

今まで受けた比喩で最もひどいものは「アラビア文字」である。他の言語のように批判される。

ただ、やや丁寧に書くと「書けるじゃん」と言われる。(中学ぐらいからずっとである)

上手くはない。上手くはないが、可読性の高い文字である。

ただ、基本的に読みにくいとされる文字を書いていることが多い。
意識してないものの、理由としては早さが重視されるからである面が多い。

ただ、重要なのはある程度読みやすい文字と、汚い文字を書いている時の2分岐があるということである。
その中でなかなか文字のきれいさの要素を意識するに至らない。

ただ、文字を書くというときは基本的に何か考えることと連関している。
きちんと考えられていれば書くことにも意識は向くはずである。(実際、漢字練習のような何かのくり返し要素の時には、”遊び”的な要素といして)きれいに書くことを意識したりもできた。

その余裕を作るように考えることが重要なのではないか。

私は考える際にかなり「文字」に頼るようである。言葉ではなく文字である。。(もちろん、言葉は前提なのだけれど、その音よりも文字をイメージできた方が意味合いをより深く感じられるようである。)

考えるときのそんな癖のようなことも認知していきたい。

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