好きなキャラから省みて

おかざき真里『阿・吽』の8巻の表紙案のツイートを見て、橘逸勢かっこいいなぁと思った。そこから思ったことをいくらか。
(微量のネタバレありです。)

ツイートに添付されていた絵自体は「カッコよさが際立つ」ようなものではないと思う。どちらかというとキレイとか美しいに近い印象を得る。その意味で、私は橘逸勢の絵単体をカッコよいと思ったのではなく、そのキャラ性にカッコよさを見い出したのだと思う。

(7巻までの時点で)作中で橘逸勢は遣唐使としてわたるものの、唐の言葉が分からず十分に学べないような人物として描かれている。ただし、武術等の力はかなりある。(が、(遣唐使の性質上か?)あまりその武術で打ち開いていくような場面は出てきていない)その力で、敵を打ち払うような場面もある。

普段はそこまで力を発揮しない(出来ない)ものの、きちんと実力を持っている者という印象である。(作画的にも細身キレイ目な印象を勝手にうけている。)


他の作品でも似たようなイメージを受けるようなキャラが好きである。
小山宙哉『宇宙兄弟』に出てくるピコ・ノートンも好きなキャラで似た印象である。

出てきたときはただの酒飲みであるが、きちんとした技術をもって、作っている。

空知英秋『銀魂』坂田銀時も(ギャグマンガ的な色の違いはあるものの、)ふらふらしている要素を普段要素で見せるものの、きりっとする。
好きなキャラで似た雰囲気である。


普段は普通。なんなら、へらへらしているけれど「実力を出すべき場面」で十分に発揮する。
そんなキャラに憧れている。

すごい人のちょっとダメなところではなく、逆のイメージである。

なんとなく、書いていて「力の入れどころ」を自覚しているかどうかが有用なのかもなぁと思った。
多分、力の入れどころみたいな要素に私が自覚的でないのである。

力のいれどころ。は、自分の価値基準の問題とやることの価値基準の問題から生じるように思う。そんな点を考えられるようになりたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?