その職業の業みたいなもの
報道とかジャーナリズムとか伝搬を図る人(物事は)政治的にあるべきではない。というような意見がある。プロパガンダを避けるものであると思う。意見と言うか、思想、意思なのかもしれない。
伝達者が生活者である限り、一定のお金をもらうことや一定のパワーを持つことを求めると思う。そのためには、伝えるものを魅力的なものにする必要がある。魅力的なものは、多分伝達していく効率がよいものである。伝達者としては効率がいいものを自然と求めるようになっていくと思う。
この意味で伝達者にとっては「政治」という一定強い力があるものを伝えることは魅力的である。色んな人の関心が集まったり、いろんなお金が入ってくるかもしれない。
ただ、歴史的に?思想的に?あまりよくない流れになったことや、どこか自由さを奪われることにつながるからつながらないようにふるまうことになるのかなぁと思った。
自由に動けないという面も大きくあると思うが、その一方で魅力の大きさだけで動けば「都合良い」ものを避けるという決断。避けた方がいいという思いはなんというか「業」みたいだなぁと思った。
最適的な、力を最も効率的に使えることをしない。それが強い影響力を持って悪く働く可能性を知っているから。である。
その人の強みが悪用される。逆にその力は本当に強いみたいな話であるのかもしれない。
だいたいのこんな話って、一旦の歴史的に悪い結末を教訓として「掲げる」ようになっていることが多いと思う。掲げているのみでは、体感していない世代にとってはその実感は薄まっていく。
でも、多分納得感をもって知っておくべきものなのである。経験していなくともその内容をとらえていくことのヒントが「業」って視点なのかもしれない。
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