言葉に関するざつなメモ

言葉に関すること。
「辞書作るような仕事しそうなのに」という評価を受けたり、ある人の発言において、その人の意図よりも「言葉」に気を取られたりするような要素が多くあった。
なんかそのあたりのことから、きちんと考えないといけないんだろうなぁと思っていて出てきたこと。

なんとなく、「現実と言葉の整合性をとりたい」と思った。
この際の現実というのは、物として存在している現実のみならず、「感じたことを正確(誤解なく)に言葉にできるか」的な要素も含まれる。

言葉の分析的な
この場面においても、言葉は道具として使っている。道具として使って、どれだけイメージしていることを表出できるかという話である。
正確に表すためには①言葉を知っている。という要素と②感情とか考えていることに自覚的である。という要素があるように思う。
さらに、自分が言い表すのか、他人が言うことをきちんと聞けるのかの話が出てくるように思う。

言葉にこだわりだしたきっかけ?
谷川俊太郎「いるか」の詩を教科書で読んだとき、また、小学生くらいで「-1+(-1)=」ということを聞かれてよくわからなかったタイミングか(言われた際は、「マイナスってなんだ?」と思った)。


いるかの詩においては、どれを動物の「いるか」として読むかによって解釈が変わる。授業では、様々な人によって解釈が違うことを見れるような構造になっていた。それを面白く感じた。
-1の話では、そんな世界があるのを知らなかった。そんな未知性への羨みのような要素だった。

何をするとよいのか
言葉にこだわっていくために何をした方がよいのか、とりあえずのイメージ。
比喩表現に入る要素を見ることか。比喩表現では、知らない要素を知ってることで表現していたりする。(イメージ的には、和歌の本歌取りの技術のイメージであろうか。)
自分で表現するのも、一つだろうが(それを目指すべきか)、「他の人の良くわからない比喩」を認知できると、知らない世界が広がるように思う。
(その意味(一つの言葉について、ある世界から別の世界へきちんと伝えられるような意味)で翻訳者のような人にあこがれがあるのかもしれない)


まとめ的な要素
・言葉は道具
・言葉にするような要素として「口から発した途端に自分の意図と違うものとなってしまう」というような評論を読んだ。
・道具をうまく使うには、その以前の思想というか知識というかの要素があるように思う。
・相手の言葉における「言いたいことと”言葉”のズレ」を認識するには、相手の言いたいことをある程度認知する必要がある。
→どうすると、相手の言いたいこととかを認知できるんでしょうね。

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