多様性に対応できていないみたいなこと?
ここ数日のSNSで見かけたりしたこと。そこから思ったことをちょっと吐き出すだけ。
〇自死を聞いてのくるしさ
自死を観測することで、思いのほかダメージを受けるということを知った。
三浦春馬さんが亡くなったという情報を得たときに、思いのほかダメージを受けた。めちゃくちゃ応援している方というわけではないものの、確かに知っている人で、活躍されている人のイメージであった。
むろん、詳細は何も知らないし、想像もできない。でもなぜか苦しく感じた。
変なことを言うようだけれど、
「現状に対する絶望感」→選び難い選択肢に至る
感じにダメージを受けている。
何か政治政策を聞いてディストピアか。と思うことが複数回あって、そんな話と勝手に関連づけているかもしれない。
でも確かに活躍している人は得れる情報の種類も増えるだろうし、その上で絶望しているのであれば、なかなかしんどい。
〇結婚相手についておツイートを見て
思想的に今までは明らかにダメだとされていた(されていると思っていた)ことが改めて発言される。これにもおもったよりダメージを受けた。
でもこれって、「多様性」の産物なのだろう。多様性の行きつく先は「これって常識だよね」っていうのが生じにくいだろうし、思うことがあるならきちんと説明しなければいけないのだろう。
「それは言うべきでないと思う。なぜなら、」が必要なのだろう。スピード優先で進んでいける雰囲気とはだいぶ異なる。
安易に多様性という言葉を出したけれども、多様性の推進って話自体は多様性と当たり前のラインの上下位置の変更のような話になっていくのではないか。
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